東京を離れる親友と引っ越し前のお出かけに選んだのは、彼女からのリクエストの国立近代美術館。

本日より開催の横山大観展には、初日からたくさんの方が訪れていました。

誰もがご存知のこの方は、やはり日本芸術界の功績とポジションを物語っているのだなぁと思いました。

あまりに有名な方なので自分の中に固まったタイカン観がありましたが、150年生誕記念で集められた作品はそのイメージを払拭する内容の濃いものでした。

美術鑑賞の後は、眺めのいい部屋から見えていた皇居外苑を歩くことにしました。
近代美術館から歩くのは初めてでしたが、体感するっていいですね。

特別観覧の皇居内の桜はすでに終わり葉桜でしたが、八重桜を見ることができました。

皇居付近は空が広くてお散歩が気持ちいい!春は一番お散歩に適していますね。

和田倉門まできました。

ここで、と、思ったらこちらランチはビュッフェだったんで、断念。

ここの広場は周辺に職場のある方のいこいの広場であるようですね。

パレスホテル前の水辺もいい景色です。

結局、丸の内から東京駅まで歩いてしまいましたが、丸の内、とてつもなくたくさんのNEWスポットが地下を含めて広がっていてビックリしました。

東京駅前の広場もようやく工事が終わりました。

丸の内ビュースポット


NEW Open にこんなに早くに行ったのははじめてかもしれません。
日比谷ミッドタウン。

日比谷なら経堂からもアクセスがいいんで、ちょっと行動範囲が広がるかもしれません。
映画少女だった時代、映画を見るなら有楽町で、映画鑑賞の後には不二家でマロンパフェを食べ、アメリカンファーマシーとソニープラザに行くのが楽しみでした。
あ〜、懐かしいあの頃。

地下鉄から直結の地下は、ここにあった三信ビルのオマージュだそうです。
あのビルがなくなってしまったこと、本当に残念ですが、こういう形で残ったのが凄く嬉しかったです。

まずは店内を見て回りましたが、琴線に触れたのがこちら。

有隣堂とのコラボだそうですが、本屋さんであることはさっぱりわかりません。
居酒屋やカフェ、文具の売店、

そして床屋さんと、昭和ワールドなエリア。
LEDではないオレンジ色が似合う感じがしました。

数々のイベントがここで行われそうですね。

そして、話題のテラスへ。

日比谷公園、皇居、武道館まで、眺めのいい景色が広がっていました。
新緑で今、美しいです。

特別な眺めです、お堀のあたりは。

日比谷ミッドタウン


やっぱり浅草はイイ!
海外からのお客様がたくさん行く理由、よーくわかります。

京都とは違う魅力の東京の浅草寺、ここにもカラフルな着物姿の女子がちらほらおりました。

これぞニッポンという姿がここにはありますね。
魔除けの朱色もあちらこちらにあるのですね。

今日は本殿横には特設で節分会の舞台が設置されていましたが、ちょうど裃姿の年男衆?が、仁王さまに鬼は外!と、豆撒き中でした。
ちなみに浅草寺の豆まきは、「観音さまの前には鬼はいないこと」にちなみ「鬼は外」とは言わず、「千秋万歳福は内」と発声するのがならわしだそうです。

仲見世通り、相変わらずの大渋滞。
久しぶりの浅草の夫、目を丸くしてました。

豚さんをお散歩する方にも遭遇しました。


花やしきほどアナログな遊園地はないという印象を持っていましたが、
今はかなりアミューズメント的要素もあるようです。
私の知っている花やしき、外観かなり変化を遂げていました。

そして、やっぱりこのあたりはパンダちゃんなわけですね。
浅草門の入口にありました。

しゃんしゃん誕生によるものかと思いましたら、平成25年4月12日(金)に除幕式が開催され、「幼稚園児による初投函」というセレモニーもあったらしいです。

日本最古の遊園地【花やしき】


親友が実母をそばで見守るためにこの春、30年近くを過ごした東京を離れます。
同い年なこともあって飾らないやりとりでお喋りが出来、長く色々なことを共有していた関係でしたから、それが絶たれることは非常に淋しい気持ちです。
自分自身にも先頃変化があったばかり、そう言う終活の時期なのだを実感する2018年です。

衝撃の告白の日に「できるだけ思い出作りしようね」と言って約束した第一段は、完成後まもなくに行こうと言って叶っていなかったスカイツリーでした。

お天気で良かった!
彼女は初めてなので、まずは遠くからいつも見ているスカイツリーを間近で見ることにしました。

すみだ水族館はショップをチラ見しておしまい。気温が上がる前に展望台を目指します。

完成、2012年でしたか?
本日平日でしたから5分〜15分待ちでチケット入手出来ましたが、週末はまだすごく並ぶそうです。

ここから春夏秋冬のそれぞれをイメージしたというエレベーターで時速600kmの速さで第一展望台へ上がります。

ラッキーでした。富士山、見れるのはやっぱり冬の晴れの日がいいそうです。
眺めもサイコー!
どこからも見れない世界が広がっていました。
新宿や渋谷と違います。

どこにいても富士山は有難い。
それぞれにケシキは異なりますが、やっぱり拝んじゃいますし、見ることができるとはしゃいじゃう存在です。

ガラスの床も歩いてみました。

ど逆光でしたが、栃木方面をバックに記念写真も撮りました(*^^*)

お土産、がちゃぽん。

スカイツリーをゲットしたかったのですが、

残念、都庁でした。

スカイツリーwebサイト


三軒茶屋に向かう世田谷線の最寄り駅山下。
カンカンと踏み切りの音が鳴り始めていました。
駆け足でギリギリ乗り込むことができました。そんなお客様を待ってくれるんですね、世田谷線は。

乗り込んでみると、にゃんと、つり革がこんな形になっていて思わずニヤリ。

隣にいらした乗客さんが、開通何年かのお祝いだとかって、ひそひそ。

降りてみてわかりました、にゃん。

招き猫と言えば豪徳寺ですが、山下駅はイコール豪徳寺であります。記念のラッピング電車はコラボによるものだそうです。

昨日からの運行だそうですが、通勤で使っているわけでもないのに出会えるなんてとてもラッキーです。\(^-^)/

普段でも十分、可愛い世田谷線です。

松陰神社前から乗車した電車は懐かしい玉電のカラーリングでした。

詳しくはこちら


新宿TAKASHIMAYAに用事がありました。
NEWoManが出来て、私的には高島屋へのアクセスがしやすくなったと喜んでいるんですが、あまり評判はよくないみたいですね、

今日はそう言えば紀伊國屋書店だった場所がニトリなったことを思い出し、覗いてみることにしました。

東急ハンズ5階からの渡り廊下も未来的で素敵ですけれど、ニトリ2階からはこんな景色で思わずパチリとしてしまいました。


上野公園のことをなぜなぜと思ったのはこのところ美術鑑賞で数回訪れた行き先の東京国立博物館が、元は寛永寺の敷地であったことを知ったことにありました。

美術館に訪れる時はほとんどそちらに直行ですので、公園内にある東照宮やその他の寺。顔だけの大仏や国立博物館の付近にある門について、考えることがありませんでした。

今回、茶の湯展へ行って、このあたりが文化人で溢れていたことや史跡がたくさんあることに興味が湧きました。

現在の上野公園のほぼ全域が昔は寛永寺の境内であったのですね。
寛永寺にある徳川秀忠らの霊廟に将軍が参詣するための参道(松坂屋上野店あたりから上野公園入口あたり)で、防火の意味で道幅を広げていたため、『広小路』称していたのだそうです。

上野公園入口付近には「御橋」または「三橋」と称する橋があって寺の正面入口となっており、その先に総門にあたる「黒門」があり、上野公園内中央を通り、大噴水、東京国立博物館方面へ向かう道がかつての参道であり、文殊楼、その先に法華堂と常行堂、多宝塔、輪蔵、根本中堂、本坊などがあったそうです。

その周囲には清水観音堂(現存)、五重塔(現存)、東照宮(現存)、不忍池の中島に建つ弁天堂(現存するが20世紀の再建)などが建ち、また、36か院にのぼる子院があったといいます。

江戸に天台宗の拠点となる大寺院を造営したいと考えていた天台宗の僧・天海は、1622年、秀忠に土地を与えられ、江戸と寛永寺との関係を、京都と比叡山の関係になぞらえて構想していたそうです。

すなわち、根本中堂、法華堂、常行堂などは比叡山延暦寺にも同名の建物があり、清水観音堂は京都の清水寺になぞらえたもの、不忍池と中島の弁天堂は、琵琶湖とそこに浮かぶ竹生島宝厳寺の弁才天にならったものであるといいます。

写真の根本中堂は、明治十二年に川越喜多院の本地堂を山内子院の大慈院(現寛永寺)の地に移築し再建されたもので、御本尊は、伝教大師最澄上人の御自刻とされる薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしているそうです。

食事を一緒にした友人に、今日は寛永寺の近くのパティスリーに寄って行く話をし、その際、確か寛永寺には乾山のお墓があったように思うと言ったけれど間違いはないかを確かめに行きました。

何度か行っても記憶は薄れるものですね。
実際、少し記憶違いでした。

確かにこんな風に石碑は立っていますが、こちらにあるものは復元建立されたものだそうです。
また、ここでわかったことで驚いたのは、乾山が入谷に窯を持っていたこと。尾形乾山は、琳派の創始者である画家・尾形光琳の弟ですから、活動は京の都で、とばかり思っていました。

詳しくはこちら

丁度寛永寺に伺った時、特別参拝の最中のようで、根本堂は御朱印のためでもあったようですが、開堂されていました。

以前はこのようなことはなかったと思うのですが、法楽を少しお聞きすることができました。この後この参拝に参加の皆さんは徳川家のお墓を詣るようです。

寛永寺 特別参拝

黒門にあったという阿形の鬼瓦。

根本中堂鬼瓦。

古代蓮のような牡丹?

さすがに寺という風情です。

ご案内所からのぞむ内部も魅力的です。

寛永寺 上野の杜の散策

【穴八幡宮】をご存じでしょうか?

夫は新宿の出身で、この八幡様には縁があるのか?

冬至の「一陽来復」の御守をよく奉っておりました。

一度訪れた記憶があるのですが、よく覚えておりません。

数十年ぶり、早稲田大学の帰りにお詣りさせていただきました。

場所は、東西線早稲田駅から間もなくのところ、早稲田通り沿いにあります。

 

1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。そうです。(ウィキペディアより)

蟲封じや開運・金銀融通(=金運)・商売繁盛にご利益があるという、穴八幡宮。
こちらでは、様々なお守りが販売されているのですが、その中でも江戸時代元禄年間より歴史がある一陽来復御守は、金運アップに効果的と評判をよんでいるそうなのです。

御朱印も人気のようです。

御守を受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日まで約2か月間であり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができ、夫の母は並んでいただいてきてくれていました。

そして、ここが大切。

御守を部屋に貼ることのできる日時は冬至・大晦日・節分のたった3日しかチャンスはありません。

 

いつの日か住まいを移し、詣でる場所も変わってしまったことから、遠い存在になってしまいましたが、なんとなく特徴ある御守を見ると思い出します。

一陽来復(いちようらいふく)」とは、冬至の別名。

太陽の力が最も弱った後に日々回復していくことから、冬が終わって春になるという意味や、これから幸運が訪れるといった、ポジティブな意味合いがある言葉です。

 

穴八幡宮


友人のお墓参りに行きました。
お寺は泉岳寺の塔頭。

お隣の泉岳寺、なかなか下車する場所ではないですし、夫から赤穂浪士のお墓がある場所と教えてもらっていましたので、連れの3人に頼み付き合ってもらいました。

境内はこんなレイアウトです。
曹洞宗のお寺で、本山は福井の名刹 永平寺になるそうです。
浅野家と縁があり、赤穂浪士のお墓がここにあるというわけです。

山門手前には、大石内蔵助像があってお出迎えしてくれます。
山門はくぐれません。右脇から入ります。

山門裏。バックスタイル、素敵ではありませんか?

やはり、参拝をいたします。
扁額はお釈迦様が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえた
獅子吼(ししく)の文字がありました。

山門左側が、赤穂浪士の墓所でした。

義士墓入り口門右手前には[首洗い井戸]
忠義を果たす討ち入りは、装束、時刻、そしてこうしたことまで念入りに計画されていたといいます。

浅野内匠上の墓前に吉良の生首を手向けた様子、想像すると恐ろしい光景です。

平日でも来ていらっしゃる方がおられました。友人によると、東京の観光名所でもあるらしく、桜の頃はお祭りがあるようです。

しかしながら本当に参拝されるのは、討ち入りのあった12月14日前後、師走、忠臣蔵の映画やドラマがテレビで放映される頃でしょうか。

江戸時代元禄期、命の重さより重要だったもの、それは景色と同じくらい変わったことに48人の義士さん達はびっくりなさっていること思いますが、
今でもその神話的忠義に心動かされる方々のために記念館が新設されていました。

その真偽について思うことある私ですが、こうしたことで歴史に触れることがあると、僅かな時間でも色々楽しい発見がありますね。

泉岳寺

5分でわかる忠臣蔵

《塔頭(たっちゅう)は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵。本寺の境内にある小寺》


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