三軒茶屋に向かう世田谷線の最寄り駅山下。
カンカンと踏み切りの音が鳴り始めていました。
駆け足でギリギリ乗り込むことができました。そんなお客様を待ってくれるんですね、世田谷線は。

乗り込んでみると、にゃんと、つり革がこんな形になっていて思わずニヤリ。

隣にいらした乗客さんが、開通何年かのお祝いだとかって、ひそひそ。

降りてみてわかりました、にゃん。

招き猫と言えば豪徳寺ですが、山下駅はイコール豪徳寺であります。記念のラッピング電車はコラボによるものだそうです。

昨日からの運行だそうですが、通勤で使っているわけでもないのに出会えるなんてとてもラッキーです。\(^-^)/

普段でも十分、可愛い世田谷線です。

松陰神社前から乗車した電車は懐かしい玉電のカラーリングでした。

詳しくはこちら


新宿TAKASHIMAYAに用事がありました。
NEWoManが出来て、私的には高島屋へのアクセスがしやすくなったと喜んでいるんですが、あまり評判はよくないみたいですね、

今日はそう言えば紀伊國屋書店だった場所がニトリなったことを思い出し、覗いてみることにしました。

東急ハンズ5階からの渡り廊下も未来的で素敵ですけれど、ニトリ2階からはこんな景色で思わずパチリとしてしまいました。


上野公園のことをなぜなぜと思ったのはこのところ美術鑑賞で数回訪れた行き先の東京国立博物館が、元は寛永寺の敷地であったことを知ったことにありました。

美術館に訪れる時はほとんどそちらに直行ですので、公園内にある東照宮やその他の寺。顔だけの大仏や国立博物館の付近にある門について、考えることがありませんでした。

今回、茶の湯展へ行って、このあたりが文化人で溢れていたことや史跡がたくさんあることに興味が湧きました。

現在の上野公園のほぼ全域が昔は寛永寺の境内であったのですね。
寛永寺にある徳川秀忠らの霊廟に将軍が参詣するための参道(松坂屋上野店あたりから上野公園入口あたり)で、防火の意味で道幅を広げていたため、『広小路』称していたのだそうです。

上野公園入口付近には「御橋」または「三橋」と称する橋があって寺の正面入口となっており、その先に総門にあたる「黒門」があり、上野公園内中央を通り、大噴水、東京国立博物館方面へ向かう道がかつての参道であり、文殊楼、その先に法華堂と常行堂、多宝塔、輪蔵、根本中堂、本坊などがあったそうです。

その周囲には清水観音堂(現存)、五重塔(現存)、東照宮(現存)、不忍池の中島に建つ弁天堂(現存するが20世紀の再建)などが建ち、また、36か院にのぼる子院があったといいます。

江戸に天台宗の拠点となる大寺院を造営したいと考えていた天台宗の僧・天海は、1622年、秀忠に土地を与えられ、江戸と寛永寺との関係を、京都と比叡山の関係になぞらえて構想していたそうです。

すなわち、根本中堂、法華堂、常行堂などは比叡山延暦寺にも同名の建物があり、清水観音堂は京都の清水寺になぞらえたもの、不忍池と中島の弁天堂は、琵琶湖とそこに浮かぶ竹生島宝厳寺の弁才天にならったものであるといいます。

写真の根本中堂は、明治十二年に川越喜多院の本地堂を山内子院の大慈院(現寛永寺)の地に移築し再建されたもので、御本尊は、伝教大師最澄上人の御自刻とされる薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしているそうです。

食事を一緒にした友人に、今日は寛永寺の近くのパティスリーに寄って行く話をし、その際、確か寛永寺には乾山のお墓があったように思うと言ったけれど間違いはないかを確かめに行きました。

何度か行っても記憶は薄れるものですね。
実際、少し記憶違いでした。

確かにこんな風に石碑は立っていますが、こちらにあるものは復元建立されたものだそうです。
また、ここでわかったことで驚いたのは、乾山が入谷に窯を持っていたこと。尾形乾山は、琳派の創始者である画家・尾形光琳の弟ですから、活動は京の都で、とばかり思っていました。

詳しくはこちら

丁度寛永寺に伺った時、特別参拝の最中のようで、根本堂は御朱印のためでもあったようですが、開堂されていました。

以前はこのようなことはなかったと思うのですが、法楽を少しお聞きすることができました。この後この参拝に参加の皆さんは徳川家のお墓を詣るようです。

寛永寺 特別参拝

黒門にあったという阿形の鬼瓦。

根本中堂鬼瓦。

古代蓮のような牡丹?

さすがに寺という風情です。

ご案内所からのぞむ内部も魅力的です。

寛永寺 上野の杜の散策

【穴八幡宮】をご存じでしょうか?

夫は新宿の出身で、この八幡様には縁があるのか?

冬至の「一陽来復」の御守をよく奉っておりました。

一度訪れた記憶があるのですが、よく覚えておりません。

数十年ぶり、早稲田大学の帰りにお詣りさせていただきました。

場所は、東西線早稲田駅から間もなくのところ、早稲田通り沿いにあります。

 

1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。そうです。(ウィキペディアより)

蟲封じや開運・金銀融通(=金運)・商売繁盛にご利益があるという、穴八幡宮。
こちらでは、様々なお守りが販売されているのですが、その中でも江戸時代元禄年間より歴史がある一陽来復御守は、金運アップに効果的と評判をよんでいるそうなのです。

御朱印も人気のようです。

御守を受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日まで約2か月間であり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができ、夫の母は並んでいただいてきてくれていました。

そして、ここが大切。

御守を部屋に貼ることのできる日時は冬至・大晦日・節分のたった3日しかチャンスはありません。

 

いつの日か住まいを移し、詣でる場所も変わってしまったことから、遠い存在になってしまいましたが、なんとなく特徴ある御守を見ると思い出します。

一陽来復(いちようらいふく)」とは、冬至の別名。

太陽の力が最も弱った後に日々回復していくことから、冬が終わって春になるという意味や、これから幸運が訪れるといった、ポジティブな意味合いがある言葉です。

 

穴八幡宮


友人のお墓参りに行きました。
お寺は泉岳寺の塔頭。

お隣の泉岳寺、なかなか下車する場所ではないですし、夫から赤穂浪士のお墓がある場所と教えてもらっていましたので、連れの3人に頼み付き合ってもらいました。

境内はこんなレイアウトです。
曹洞宗のお寺で、本山は福井の名刹 永平寺になるそうです。
浅野家と縁があり、赤穂浪士のお墓がここにあるというわけです。

山門手前には、大石内蔵助像があってお出迎えしてくれます。
山門はくぐれません。右脇から入ります。

山門裏。バックスタイル、素敵ではありませんか?

やはり、参拝をいたします。
扁額はお釈迦様が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえた
獅子吼(ししく)の文字がありました。

山門左側が、赤穂浪士の墓所でした。

義士墓入り口門右手前には[首洗い井戸]
忠義を果たす討ち入りは、装束、時刻、そしてこうしたことまで念入りに計画されていたといいます。

浅野内匠上の墓前に吉良の生首を手向けた様子、想像すると恐ろしい光景です。

平日でも来ていらっしゃる方がおられました。友人によると、東京の観光名所でもあるらしく、桜の頃はお祭りがあるようです。

しかしながら本当に参拝されるのは、討ち入りのあった12月14日前後、師走、忠臣蔵の映画やドラマがテレビで放映される頃でしょうか。

江戸時代元禄期、命の重さより重要だったもの、それは景色と同じくらい変わったことに48人の義士さん達はびっくりなさっていること思いますが、
今でもその神話的忠義に心動かされる方々のために記念館が新設されていました。

その真偽について思うことある私ですが、こうしたことで歴史に触れることがあると、僅かな時間でも色々楽しい発見がありますね。

泉岳寺

5分でわかる忠臣蔵

《塔頭(たっちゅう)は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵。本寺の境内にある小寺》


今日は、背中と腕の神経疼痛が再発したのでゴッドハンドの施術を受けに板橋へ向かいます。
ふと、思い出したのがこちら。
私、実家が川口なんですが、こちらの洋館、物心ついた時から車の窓越しから見ていて、憧れていたんです。
いつだったか?【旧田中家住宅】という大きな看板が塀にかけられ、時折着物姿の方々の出入りがあるのも見かけていました。これはお茶室がある。そう思って俄然興味が湧いていました。
痛みを忘れるには逃避が一番。
板橋から赤羽まで埼京線で一駅。
その後は、鳩ヶ谷公団住宅行きのバスに乗り《坂口》で降ります。
埼玉高速鉄道の《川口元郷駅》を利用すると、徒歩8分というアクセスだそうです。
とにかく今日は近場の旅です。

こういう景色が幼い私の心を刺激していたわけです。
こんな洋館にはどんな方が住んでいるか、想像が結び付いた覚えもありませんが、今は川口市が買い上げ、有形文化財として保護されています。

味噌問屋や材木商で成功をおさめた四代目田中徳平衛が大正末期に築いた家で、大正12年に2年をかけて完成した木造煉瓦造3階の洋館と、昭和9年に増築された和館の他、茶室、文庫蔵、煉瓦塀、庭園により構成された邸宅です。
表玄関には当時珍しいシャッターが取り付けられていたといいます。

商家らしい作りの玄関。
こちらで入館料200円を券売機で支払います。
管理の方お二人と言葉を交わしましたが、一階は玄関、帳場、応接間を見て3階に上がるという順で拝見するのが良いとのことでした。

帳場奥にある金庫。
こんな大きな金庫があって、隆盛を極めたわけですね。

展示されていた机が使われていたかどうかはわかりませんが、畳敷きなのが、当時はまだ西洋式には程遠い生活だったのだと想像できました。
奥はキッチンで当時はもちろん土間だったようです。

一階応接間、お客様を招き入れるためのお玄関が右手にあり、ステンドグラスが施されていました。

住宅用として作られたからか、当時着物の生活で必要性がなかったからなのか?階段の幅はとても狭いように感じました

3階にあがりますとすぐに、大広間で宴会が行われる際の控えの間が正面にありました。

天井。

そして床。

右横は蔵で、今は田中家についての資料展示の場として使われていました。
こういった洋館の最上階に蔵かあるのを見たのは初めてでしたが、今でいう収納部屋ということで理解すれば天井の低いのも納得でした。

迎賓室としての応接間はジョージアンスタイルだそうです。
階段の装飾もこの部屋の柱と同じ当時よく見られたイオニア様式。
当時は富士山も見える眺めのいい部屋だったそうです。

洋館の魅力の一つ、あかり。
階段途中は点灯していて、雰囲気がありました。

2階、書斎。
家具の配置がないので、当時を忍ぶことはできませんでしたが、

設置されたバルコニーとヤシの木は、憧れの西洋文化のように感じました。

上を見上げるとこんな様子。
シャンデリアのような華美な印象ではないけれど贅沢な灯り、素敵ですね。

二階、左手の客間。
8畳の座敷、4畳次の間の構成でとてもコンパクトですが、縁側が2ヶ所にあり、老舗和風旅館のような印象でした。
こちらでは、お客様の対応が難しくなったため、和館の増築ということになったのでしょう。

材木商らしく、使用されている材料や意匠がが素晴らしいです。

松の意匠の窓。格子の細かさとデザインに惹かれました。

菊の唐紙。

牡丹の唐紙。
建具が本当に素晴らしいです。

2階から1階に降りて行く階段が中間にありました。

そこを降りて左手に進むと、増築された和館です。

数寄屋造りの迎賓施設で、10畳の仏間。

12畳の次の間。

15畳の座敷の構成で、

日当たりのいい広縁からは、池泉回遊式庭園が望めます。

座敷の奥のお手洗いをお借りすることができるのですが、袴脱ぎという場所がありました。
まだまだ和装の方々が多く、その接客として設えたのですね。
お手洗いの扉の意匠に目が留まりました。素敵です!

トイレ内部ですが、この建具もまた、細かく高い技術です。

松の意匠はかしこに見られます。

この建具の装飾の手の込みよう

これもまた、お見事なわけです。

灯りのデザインも素晴らしいのです。
私にはハート型に見えます。

こちらはガラスにハートです。
タッセル使いも、素敵ですね。

はい、こちらもハートのモチーフですね。
和館の灯りはみなそのような意匠で、ひとつひとつが質のいいデザインをしていました。

一階土間から庭園に出てみます。
残念ながら、山茶花、そして水仙しか咲いておりませんでしたが、これから春は桜、秋は紅葉と四季折々の景色が楽しめるのではないでしょうか?

引き寄せられるように歩みを進めますと、茶室でした。

外にも待合がありますが、

立礼のできるホールを抜けていきますと素晴らしい空間が広がっていました。

これ、屋内なんです。

はめごろしのガラスからは、当然お庭が望めます。

飛び石も躙り口もあるお茶室が屋内にあるという

全天候型茶室、素晴らしいと思いました。

こちらが屋内の待合ですね。

テーブル席もあります。

池を配した回遊式庭園、色々な方向から楽しむことができます。

比較的新しく、手入れもよいですし、平日ということもあって、ゆったりと鑑賞することができ、心豊かになりました。

こちらでのお茶会、一度訪れてみたいですね。

旧田中家住宅


初詣は地元豪徳寺と決まっております。
今年も家族揃ってと思ったら、義母は早朝散歩で八幡さまをお詣りしたのでいいといいます。
夏に夏越の祓を経験してからこちらに御執心です。地元でも八幡さまは人気があります。
風情あるいい神社です。

豪徳寺も魅力的なお寺です。
元旦に初詣させていただく機会がないので、常なのかはわかりませんが、五重塔が御開帳されていました。
豪徳寺はどちらかというと、地元よりも他方からやって来る方が多いのかもしれません。
井伊家の墓があります故、そちらに足を向ける方も多くおられますし、
今年の大河は井伊直虎であることもあるのでしょう。社務所にはドラマのポスターも貼られていましたしね。

その社務所でいつもお札をいただきますが、御朱印をされる方も本当に増えました。
知り合いに見せていただいたことがありますが、字が素晴らしいだけでなく、やはりパワーを秘めている印象を受けます。

毎年、甘酒をついいただきたくなる寒さですが、今年は陽射しも暖かで気持ちのいい元旦です。
おみくじも大吉でしたし、今年は体調を含めて日々が穏やかに過ごせますこと、祈念いたします。


赤坂迎賓館、一般公開が始まりましたね。
機会があったら行ってみたいと思って調べていると、クリスマス時期だけのライトアップがあるとの情報を得てしまいました。
ダメもとですが友人と24、25日でエントリーしてみましたところ、友人が当選しました!lucky!!

夜は出歩かないんで、常がどうなのかはわかりませんが、塀の中のおとぎの世界、夜もきらびやかで美しい光を放っていました。

オテルドミクニや学習院初等科のある方角、西門から入場します。
セキュリティチェックを受けまして、チケット1,000円を購入。

外回り正面玄関を拝見します。

迎賓館となる前は、離宮であった贅をつくした館は、やはり宮殿でした。

こんな経緯がわかりました。
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。
鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡に建てられた。
しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。
嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

1924年(大正13年)、大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が成ると、その後の数年間、赤坂離宮は裕仁親王一家の住居たる東宮御所として使用されたが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になった。

終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費がかさむとして拒否している。

第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948〜61年)、法務庁法制意見長官(1948〜60年)、裁判官弾劾裁判所(1948〜70年)、内閣憲法調査会(1956〜60年)、東京オリンピック組織委員会(1961〜65年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年(昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。

これを受けて、池田及び池田の後継として1964年(昭和39年)に首相に就任した佐藤栄作の2代の政権下で政府部内で検討を重ねた結果、『旧赤坂離宮を改修し、これを外国賓客に対する迎賓施設に供する』ことが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。

新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。
(Wikipediaより)

菊の御紋見えますか?
様式はネオバロックですが、桐と菊は各所で目にすることになります。
こちらは、3つある正面玄関の中心にある扉で菊はここだけでした。

残念ながら館内は写真、NG。
(パンフレット写真より)
【彩鸞の間】
その名は、左右の大きな鏡の上とねずみ色の大理石で造られた暖炉の両脇に「鸞」(らん)と呼ばれる霊鳥をデザインした金色の浮彫りがあることに由来するそうです。

【花鳥の間】
その名は、天井に描かれた36枚の油絵や、欄間に張られた錦綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝などに花や鳥が描かれていることに由来するそうです。

周囲の腰壁は茶褐色のシオジ材で板張りしてあり、その壁の中段を飾るのが七宝で、下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼の天才・涛川惣助が焼いたものだそうです。

【羽衣の間】
白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せています。
この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、レセプションや会議場等として使用されており、また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒を供するところでもあるそうです

【中央階段】
正面玄関から続く階段は実に見事でした。
フランス産の赤い大理石の壁の美しさにため息が出ました。

【2階大ホール】
周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石で、壁には、京都西陣の金華山織の美術織物が張られ、床には、紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した緞通が敷かれています。

【朝日の間】
その名は、天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵に由来するそうです。

クリスマス@赤坂迎賓館、とても素敵でした。
点灯された各部屋のシャンデリア、素晴らしかったです。

六本木ミッドタウン

この日の東京タワーはレインボー。

六本木ヒルズけやき並木は今年も綺麗!
クリスマス2015@六本木ヒルズ

今年のミッドタウンは

こんなツリーがありました。

クリスマス2015@ミッドタウン


食事前、新しくできたアトレ2をぶらりとした後、恐ろしく久し振りに恵比寿ガーデンプレイスまで足を伸ばしましたよ。
この季節ですから、こちら名物、バカラです。
大好物のイルミネーション。
お昼間ですが、これもまたよろし、
宇宙ですねー。

だ、そうです。

ゴージャス!

ファービラス!

このアプローチがまた素敵ですよね。

嗚呼、私の青春でした。ここ♪


友達と待ち合わせ。
今日は明治神宮を目指しながらおしゃべり。

鳥居前で打ち合わせ。
私のようにフラフラしない友人、いつ来たかも記憶がないと…。
しかし、忘れておりました。
本日は晴天なり、いえいえそうではなく、日曜日でした。
もちろん、外国からのお客さまはわんさか、そしてやはり日本のお客さまもたくさんおられました。

結局、ライターの友人曰く、清正の井はもはやパワースポットではないと言いますし、菖蒲も咲いていないので、井へのコースはチョイスしませんでした。
私も行先を提案するにあたり調べましたところ、清正の井、雨の日、そして午後はNGなんだそうです。

外国からのお客さま、こういう儀式、やはり興味があるようです。
いいお手本になるようにきちんとしなければいけませんね。

日曜日だからこそ、素敵な出会いがありました。
綿帽子姿のお嫁さん。

角隠し姿のお嫁さん。

神宮の森の中の彩り。

参拝を済ませた後は、今回の展示の後、耐震工事のため2020年まで閉鎖されてしまうという宝物殿に向かいました。

参宮橋からのアクセスが近い宝物殿前。
素晴らしい景色がありました。

ここは穴場だと思いました。

宝物殿。
歴代の天皇の肖像画があります。
明治天皇に関するものがあります。
けれど、皇室語が多いためとても難しい。
今回知ったこと。
明治天皇は、側室の子であったこと。
皇室の問題、今色々ありますが、以前からこういったことはあったわけですね。
確かラストエンペラーもおそとのお子でした。

明治神宮2014

開運の神社仏閣


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