富士山駅に到着です。富士吉田に住むお茶を教えていただいた先生のお宅へお悔やみをと参りました。本当はこの日、同窓会茶会の予定でした。実は10月の台風の際、伺う予定でした。しかしその日は計画運休も予定されていたので早めに後日ということになりました。そんなこんなで今回は同居されていたお義母様がなくなられたのです。茶会はもちろんキャンセルですが、私達は先生を訪ねることにしました。

新宿8時30分発、富士山回遊で到着です。以前は週末だけの特別列車でしたが、インバウンドの影響でしょうか?JRとのコラボで平日も運行。そして列車もピカピカです。

前回、教えてもらったのだと、同乗した友人が気を利かせて私を案内してくれました。富士山駅のホームからも富士山は見えますが、駅ビルのエレベーターで展望デッキに上がってみると、

この富士山!
今日は少し曇り空なのに…。有難い!!

展望デッキはこんな様子です。
富士山は近くに行ってもお天気次第。今日は初冬を感じる、なんだか男らしい風情でした。だんだん雪化粧する富士山です。


近鉄奈良駅から少し行ったところにある【ならまち】
時間があればこのあたりを散策し、以前宿泊したことのある奈良ホテルあたりも行きたかったのですが、奈良ホテルのメインダイニングの『三笠』は修復中でもあり、帰りの時間が気になる最終目標地到着となってしまったので軽く見て歩くことにしました。
以前といってももう30年も前のこと。こんなエリアはなかったように思います。
Wikipediaによると、
ならまちは、奈良県奈良市の中心市街地南東部に位置する、歴史的町並みを有する地域。狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。 なお、奈良町とは、江戸時代中期の『奈良町絵図』に描かれた奈良町の区域を指す現在の地名で、本項目で示す「ならまち」に「きたまち」等を加えたエリアからなる。
とのことです。

近鉄奈良駅から幾つかのアーケードを抜けてたどり着いた先。

日が暮れて、残念ながら老舗の店は営業を終了していました。

こちらは奈良漬けのお店。入店して店の雰囲気を伺うことが出来ずで残念でした。

路地にはバーや飲食店があり、オレンジ色の灯りが街の印象によくマッチしていました。

最後はやっと探し当てた『遊 中川 茶論
』我が家ではここのリサラーソンのかや布巾が定番なので、東京ではよく利用します。最近では茶道を身近にというコンセプトなのか?『茶論』というショップができました。日本橋にありますが、テーブルで点てるビギナーレッスンが店内で開催されています。
こちら奈良店はアンテナショップとしての立ち位置なのでしょうか?町家作りのような建物は、駅ビルにあるような雑貨の他ウェアなどもあり楽しい空間になっていました。
また茶論は奥に別スペースとして設けられていて、店内からも見えるお座敷は魅力的な空間になっていました。

奈良 遊 中川


唐招寺からの帰り、西ノ京に戻る道を行きと違う道を歩いてしまって駅から離れてしまいました。それならばと手前の駅を目指しますが、あたりはのどかな田園風景。日が暮れはじめた稲刈りが終わった田んぼ沿いの道は寂しい気持ちになりましたが、先の景色に魅せられて寄り道をしました。

古墳でした。先日、規模は違えど世界遺産に百舌鳥、古市が登録されたばかりです。テレビの映像で様子を知っても本当の姿はわかりません。こんな景色なのかも?と想像しました。

このタイミングで天皇を意識するのはなにか導かれた感があります。

宝来山古墳、実際の被葬者は明らかでないらしいのですが、宮内庁によると、「菅原伏見東陵(すがはらのふしみのひがしのみささぎ)」として第11代乗仁天皇の陵とされているそうです。

なんだか宇宙に舞い込んだような感覚で松の並木を駅を目指して歩きます。

線路を頼りにしたので迷うことはありませんでしたが、唐招提寺からは20分ほどかかりました。

きままな一人旅。こういう駅の風景も私にとっては宝箱のようなもの。駅名も古都ならでは?西ノ京→尼ヶ辻→大和西大寺。ここから奈良に向かいます。


唐招提寺に到着です。薬師寺の全体が朱色だったので、落ち着いた南大門の色調にほっとした気持ちになりました。

World Heritage 【唐招提寺】

唐 陽州から「伝戒の師」としての招請を受け、天平勝宝5(753)、苦難の末来朝した鑑真が、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされたそうです。
天皇を始めとする多くの人々に授戒をされ鑑真和上ですが「唐律招提」と名付けられた鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけだったそうです。

金堂は奈良時代に建立された天平様式で華美でない簡素な姿に心奪われます。

講堂。鑑真大和上が朝廷より賜り移築したもので、平城京唯一の宮殿建築の遺構だそうです。

日本最古の校倉。宝蔵、経蔵。

鑑真大和上御身代り像が安置されている開山堂より東室、礼堂、金堂などを望む。

本坊付近。

実に美しい風景がありました。

このあたりの右手は西堂跡だったそうです。従来は僧侶の起居した僧坊で、三面僧坊といって北にもあったそうです。
天平の甍


京都から奈良へ移動します。バスの利用で渋滞にはまり、想定外の時間のロスがありましたが、電車の移動時間は日常から逃避する景色が車窓から見えて充実感を満喫しました。西ノ京駅から徒歩数分で薬師寺に到着しました。たぶんここも学生の時に訪れているのでしょうね。全く記憶にありません。
昨日斑鳩から奈良公園へと向かうバスの車窓から外観だけを眺めていました。それはとても広大に見えました。
後からわかったのですが、写真は裏側の入り口だったようです。南門は少し遠回りして行った先。

なので『金堂』は反対から撮影しました。
「奈良の文化財」の一つとして世界遺産に登録されている薬師寺。奈良時代には「南都七大寺」として、東大寺や法隆寺などと並んで朝廷の保護を受けていた大寺院です。薬師寺は、文字からわかるように病気平癒のお寺です。
奈良時代中期にあたる白鳳時代に藤原京(現在の橿原市)に創建され、養老2(718)年に現在の西ノ京に移転したそうです。

『西塔』この内部にある中村晋也作「釈迦四相像」圧巻でした。

実は今、対角にある『東塔』が修復中。2020年6月に工事は完了するそうですが、こんな様子でした。しかし、古の人達は凄いです。クレーン車のなかった時代、人力だけでこんな高い塔を建ててしまったのですから…。
本来の姿は奈良時代の伽藍を現した形だそうです。

『金堂』薬師寺の伽藍配置は「薬師寺式伽藍配置」と称されるもので、中央に金堂、その手前に中門、背後に講堂を配し、金堂の手前東西に塔を置き、そして、中門左右から出た回廊が講堂の左右に達し、金堂、東西両塔は回廊で囲まれています。

『食堂』
この内部では特別観覧で阿弥陀本尊図と壁画を観ることができます。食堂(じきどう)とは 寺院で、僧侶が食事をする所ですが、体育館のような広さと天井の高さでした。

駅から来た道を渡り門をくぐります。こちらもまた薬師寺の一部。

右横にはお写経道場がありました。
最近は御朱印を求めて社寺をめぐられる方が多いですが、写経をする方結構いらっしゃいます。心を無にする。以前陶芸をしていた時、土に触れるとそんな時間が降りてきました。

薬師寺は奈良の歴史ある大寺ですが、とてもあたまが柔らかい。これまでAKB48や堂本剛さんの奉納コンサートを行うなどをしています。食堂ではクラシックギタリスト村治香織さんのリサイタルをやったと聞いています。

昭和42(1967)年から31年間にわたって管主を務めた高田好胤(こういん)師は金堂の復興建築のために10億円を浄財を集めるため、全国の市町村を回り説法を行い、お写経勧進に努めたそうです。一巻1,000円(当時)の永代供養料を募ったそうですが、昭和51(1976)年に見事達成し、同年に金堂が復興されたといいます。

このような背景もあってか「美しい心の再発見」をお写経を通して盛んに行われているようです。

『玄奘塔』

『玄奘三蔵院 伽藍』

経蔵には平山郁夫画伯の作、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」13枚の大作が展示されています。

薬師寺にはまほろば塾が定期的に開催されています。趣旨は日本人の豊かな心の啓蒙。日本の伝統文化の啓蒙だそうです。興味があります。

薬師寺と唐招提寺を結ぶ歴史之道を歩きます。


吉田神社の真正面に三重の塔が現れました。これは偶然の出会い。立ち寄らないわけにはいきません。
【真如堂】以前紅葉を求めて京都に来た時、名所と聞いていたのにたどり着けなかった場所でした。お寺の方に言われるまで気付きませんでしたが「2019年そうだ京都行こう」のCMの場所だそうです。

導かれた場所。

朱の総門。赤門とも云われているそうです。真如堂の正式名は『真正極楽寺』

こちらが吉田神社の階段を降りた時に目に飛び込んできた三重塔です。

東山あたりでこちらはそれほど高い場所ではないと思いますが、紅葉の早い樹木があるからなのか、オレンジ色に染まりはじめていました。

手水舎に花。

こちらは京都では珍しく拝観料かありません。奥のお庭を見せて頂けるというので、こちらはお支払いたしまして堂内へ。

こういった日常からかけ離れた回廊に足を踏み入れることができる。それが私にとって魅力です。本堂から書院へ。

素晴らしい景観がありました。

南禅寺もこのようなところがありました。

紅葉の季節になったら雰囲気が変わりますね。

東山三十六峰を借景とした枯山水「涅槃の庭」
お寺が好きな理由、ここに来て改めて思いました。流れる空気感が違います。平日ということもあって、私一人。至福の時でした。

モダンな「随縁の庭」
何か重森三玲さんとダブると思いましたら、御孫さんである作庭家重森千青氏の作品でした。

重森千青氏
真如堂


この茶室と

お庭を観にきました。

京都大学と吉田神社の近くということでしたが、早朝でかけた東福寺駅から一本だったので出町柳駅で降りて歩きました。出町柳駅は下鴨神社や大福の美味しいふたばがありますが、見慣れない景色、方向を間違えたら大変なので、まずは地元の方に京大の方向だけ教えていただいて、あとは美術館の地図を頼りにします。

11時の予約に数分遅れてしまいました。12人ほど、参加の方がいらっしゃいました。半分は外国からのお客様。そのお客様の通訳をする方が河瀬直美監督のおつきの方で、通訳をされていた中のお一人は河瀬監督を後押しされたスイス人のプロデューサーでした。
国際色豊かで、イタリア語も飛び交いました。ご案内をしてくださるお孫さんも英語はもちろんでしたが、イタリア語もできるようでした。

茶室はこの奥。最初は書院に入ってお庭を拝見しました。

こだわりの敷石。

奥の茶室は拝見できませんが、建具にもこだわりがありました。

茶室にある照明も重森三玲さんのこだわりのお品。イサム・ノグチ氏にと交流があったということなので、共作かもしれません。

ぶら下かるドライあじさい。邪気払いだそうですが、初めてみました。
その奥に見える釘隠はめずらしい陶製です。やはり三玲作品です。
あじさい花守り


招喜庵はコンパクトなウェディングに使われているそうです。
見学は2ヶ所だけなのですが、ご案内が丁寧で質問には確実にお応えくださり、充実した時間が過ごせました。レビューなどにある悪評は心ない方があげたのだろうと思いました。
ご案内してくだるお孫さんは祖父である重森氏の才能と作品を愛していらっしゃるツンデレさんとお見受けいたしました。

重森三玲庭園美術館


泉涌寺(せんにゅうじ)に到着しました。
東山三十六峰の一峰である月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇・皇族の陵墓があり、皇室の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれています。(Wikipediaより)

仏殿。

密教寺院の中心堂宇は「本堂」「金堂」と称することが多いが、泉涌寺では宋風の「仏殿」の呼称を用いるそうです。

舎利殿

霊明殿。

月輪陵。歴代天皇らの25陵、5灰塚、9墓が営まれているそうです。ご即位奉祝の記帳所がありましたので、私もお祝いの気持ちを込めまして記帳させていただきました。
明治時代に入り、廃仏毀釈の混乱の中で陵墓は全て国家に没収されてしまい、現・宮内庁)諸陵寮の管理下に置かれることとなり、以後は天皇・皇后の葬儀を行うことはなくなったそうです。

ここから皇族は入られるそうです。

勅使門。


大変険しい道を通り抜けて目的地に到着しました。(東山トレイル)東福寺からきた為どうやら泉涌寺の正門はまだ先のようです。息をきらしながら迷って地元の方に訊ねてのぼってきた先は目的のお庭がある別院でした。

奥に入るまで

さらに奥へ

こちらで拝観料をお支払して中へ。
皇族の御位牌が納められているので中は撮影禁止です。
勅願の寺院で皇室との縁の深さから、他の塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられていて、霊明殿には北朝歴代天皇の御尊牌が奉安されています。

重森三玲作庭による庭園「遊仙苑」

清浄な空気が流れます。

この石を

このご案内にあるように座って土踏まずにあてて深呼吸をしてみたら、あら不思議、信じられない気分の良さが私の中に産まれました。

このようなお庭を拝見しながら持つ至福の時間。朝活のため、先客が1名だけでした。

順路を進んで行くと慶喜寄進という灯籠がありました。

足元、菊の御紋です。

龍淵のさやけしと呼ばれる『水琴窟』

花のあしらいが素敵なお寺でした。

『さとりの窓』から見える風景も

川と観音石の石庭も
本当に素晴らしかったです。


この旅を決めてから予約しないと行けない場所にも行ってみようと思いました。調べてみましたら、桂離宮などはもちろんNGでした。
思い出したのが近代の作庭家 重森三玲氏の存在。明治から昭和に活躍なさった方ですが、自邸だった場所を庭園美術館として拝観することができます。第2希望までお伝えしましたが、本日11時に拝見OKのメールをいただきました。
ならば三玲氏がデザインされたお庭を見ようと、東福寺に向かったわけです。
早朝の社寺めぐりは本当に良いですよ。こんな可愛らしいお地蔵さんを門の奥に見つけることができます。

「吹禅」?

このお寺は尺八の根本道場だそうです。

開門前ですが、紅葉狩りのシーズン時は行列になる橋、誰もいません。

偃月橋。単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊。1603年(慶長8年)の建築で重要文化財。
「日本百名橋」の一つ。

京都を代表する紅葉スポット通天橋。
東福寺の渓谷に架けれた「東福寺三名橋」のひとつです。

塔頭寺院などを見ながらぷらぷら歩いているとこの立て札。伏見稲荷が歩いていける距離なんだぁ〜と、また京都に明るくなりました。

塔頭・桂昌院(けいしょういん)。

御堂内正面に三面大黒天に本日初参拝。
あとから知りましたが、開運のご利益があるということで、お参りに来る人が多いところたそうです。( ≧∀≦)ノ

9時前ですが東福寺の六波羅門が開いていたので入らせていただきました。

三門。

本堂。

方丈。
こちらの庭園が重森三玲作品です。
早朝、社寺めぐりは本当にいいです!


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