道中でだいぶいためつけられたようで、包装紙にやぶれがみられます。
弘法市で買い求めた【さば寿司】です。
以前から、気になっていた露店で購入しました。
他にも数店ありましたが、なんとなく食いしん坊の虫がここだと言っていました。

保存のためにこの竹の皮でくるんでいるのでしょうが、いいですね。この景色。
消費期限は、23日まで、3日間大丈夫だということです。

店頭には1,500円2,000円の2種類ありました。聞くと、2,000円の方は鯖街道のさばを使用しているとのこと。

海のない京都では生魚を食べるよりも、火を通した魚料理や酢で締めた魚料理の文化が発達したと言われていて、そんな京都へ日本海側から魚介類を運ぶルートでは鯖が大量に運ばれたことから、いつしか『鯖街道』と呼ばれるようになったのだそうです。

京都市内にはたくさんのさば寿司の名店があり、老舗店、高級店、庶民派店とさまざまです。
高級店のさば寿司は、お値段もかなり高級です。

お聞きしましたら購入先のさば寿司はお店を持たない自家製のようでした。
大変美味しゅうございました。

駆け足の気ままな旅もそろそろ帰りの時間が迫っていました。

最後に訪れたのが、青蓮院門跡のお隣にある【知恩院】

社寺めぐりはとにかく石段との戦いですが、これをクリアしなければ目的地にたどり着きません。

もう少し。

どうやらこちらは、黒門を上がった北門であったようです。

残念ながら御影堂は今年末まで大修理中。

せっかくですから、見て回れる場所へと歩みを進めます。

さらに上へ行くと御廟があります。

そこからは京都市内が見渡せる風景が広がっていました。

京都東山三十六峰のひとるである華頂山のふもとにあることがわかります。

国宝 御影堂、今日は屋根だけで我慢です。

方丈庭園もみることができません。

ゆえに、友禅苑を拝見します。

こちらの庭園は友禅染の祖、宮崎友禅斎誕生300年を記念して、昭和29年に改修造園されたそうです。

裏千家14代千宗室(せんそうしつ)によって命名された白寿庵(はくじゅあん)。
裏千家ゆかりの茶室だそうです。

国宝『山門』
1621年、徳川2代将軍秀忠公の命を受け建立。 構造は五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国 最大級の木造の門だそうです。
本当に立派です。揚げられている「華頂殿」の額は畳2枚以上だそうです。
山門ではなく三門なのは、空門・無相門・無願門の悟りに通ずるの三つの解脱の境地を表す三解脱門を表しているからだそうです。


なかなか来れなかった場所へやっと訪ねることができました。
最澄により約1200年前に開かれた比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院です。

代々、皇族・貴族が門主を務める格式のある五つの寺院を天台宗の五門跡と呼び、妙法院、三千院、青蓮院、毘沙門堂、曼殊院の五寺院が五門跡で青蓮院はその一つとなります。
宗祖伝教大師以来の比叡山上の住坊「青蓮坊」が発祥だそうです。

大広間である華頂殿(かちょうでん)の60面の襖絵と、東山の山頂にある青龍殿が有名です。

阿弥陀経というお経の世界に記された世界を描いたものだそうですが、Ki-Yan(キーヤン)とも呼ばれる木村英輝さんの作品です。
絵描きとして世に飛び出したのは、還暦を過ぎてからで、日本のロック黎明期に、美大講師からロックイベントのプロデューサーになり、個性的なイベントを数多く仕掛けられた異例の経歴の持ち主だそうです。

本来伝統的な襖絵は本金や岩絵具、漆といった伝統画材を使いますが、この絵はアクリルガッシュとネオカラーと言う現代の画材で描かれています。

格式ある寺院の襖絵、門跡の頭の柔らかさにも魅力を感じます。

『小御所』

この「そうだ京都行こう」のポスターに使われたのが物語る、お庭が大変素敵です。

各所が大変良く手入れされ、浄化した空気が漂います。

手水鉢は『一文字手水鉢』といわれ豊臣秀吉寄進なるものだそうです。

こちらでも撮影が行われていました
和装は日本建築が良く似合います。

『宸殿』

宸殿から見たお庭。

お庭に出て見ます。

池泉回遊式庭園。

もう一つの目的。
茶室でお茶をいただくことでした。

実は正門は裏手らしいのですが、こちらから上がらせていただきます。

待合に荘られていたしつらい。
カラスウリでしょうか?

四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等からなる茶室の一角で、お茶をいただきました。
障壁画十三画は、上村篤之画伯の御奉納による花鳥図だそうです。

どこの流派であっても抹茶がいただける、そう思っておりましたら、本日は煎茶道でした。
大変複雑なお点前で、とても勉強になりました。

お菓子は、平安殿謹製の香ばしい焼皮と柚子の香り高い白餡の風味の青蓮院のために設えた『平安殿』をいただきました。

玉露をいただいた後にお菓子をとすすめられ、その後煎茶をいただきました。
『平安殿』

後桜町上皇が仮御所として御使用の際お使いになったご学問所であり、明治以降茶室として活用していたということですが、中核派の放火により平成五年に焼失。

所蔵の創建当初の平面図「御学問所」を基に木材等の材質も全く同じ、工法も同じで本格的数寄屋造の茶室が、平成七年秋に完全復元されたそうです。

竜神池とよばれる池には庭の美しさを際立たせる錦鯉が優雅に泳いでいました。

写真では伝わりにくいかもしてませんが、とにかくお庭が素晴らしいです。

右近の橘、左近の桜もあります。

そしてやはり宸殿の先にある、正式の玄関、車寄せもありました。


東寺をあとにしまして向かいましたのは【上賀茂神社】です。
昨年は秋に行った後に下鴨神社には2度も行ったのにこちらへは寄る機会はありませんでした。

京都駅からバスに乗りこちらを目指しました。
かなりの距離があり、ご案内には約50分とありましたが、まだ紅葉が盛りにはなっていないせいか、渋滞のようなものはありませんでした。
車窓から眺める景色もゆったりと楽しむことができて、すぐきの畑なども発見しました。

世界文化遺産に登録され、国宝と重要文化財の宝庫でもある上賀茂神社は京都でも最古とされる歴史と格式を誇る神社で、春の風物詩であるあの「葵祭」でも有名です。

上賀茂神社の二ノ鳥居をくぐってすぐ正面の重要文化財にも指定されている「細殿(ほそどの)」へ。
細殿は、天皇や上皇が社殿参拝の前に装束などを整えるための御殿で、この細殿の前にあるのが円錐型に整えられた一対の盛り砂ですが、この「立砂(たてずな)」と呼ばれる円錐形のものは、「清めの砂」の起源となったものだそうです。

賀茂別雷神が降臨したと伝えられる本殿の背後に位置する「神山(こうやま)」を模したもので、立砂の頂には神様が降臨する際の目印に松葉が立てられています。

京都最古と言われる歴史と共に、「上」と名がつくだけあってその御神徳は高く、厄除や方除、浄化といった面に関して非常に力の高い神社なのだそうです。

楼門。

お詣りをさせていただきました。
葵祭 で使われる双葉葵がわかるでしょうか?
下鴨神社と上賀茂神社、両社の神紋になっています。

昔は「あふひ」と書かれ、「あふ」は「会う」、「ひ」は神様のお力を示す言葉で、神様の大きな力に出会う植物が「あふひ=葵」と伝えられていて、御祭神降臨の際に、『葵』を飾り、祭りをしなさいと御神託があったことから、御神紋となり、社殿を飾り、神と人を結ぶ草として古来から大切にまもられてきた植物だそうです。

また、葵の御紋は、賀茂とのつながりがあったとされる三河武士が葵を家紋に使う事が多かったところから徳川家の家紋になったといわれているそうです。

境内を流れている川の澄んだ水の流れとに心が癒されます。
水は浄化のパワーがありますから、とても気持ちが良いものでした。

上賀茂神社の境内は思ったより広く、神社は清らかな流れに囲まれいます。

花嫁さん花婿さんの撮影スポットでもあるようでした。

紅葉も綺麗でした。

京都の旅は、市に行くのを前提に日程を考えます。まだ行ったことのない北野天満宮の市は毎月25日ですが、今回それは叶いません。それではと、21日の東寺で催されている弘法市を予定に入れ今回の小旅行と相成りました。

なぜ、市が好きなのか?それはどこの国へ行っても、行った先の生活や庶民の姿が見れるからかもしれません。

骨董なども扱っていますから、お手頃なお茶道具に出逢えるのも期待しています。

 

弘法市は朝5時からと聞いていますが、今頃はまだ6時半過ぎにならないと日が高くなりませんから、ホテルで朝食を摂った後、歩いて向かいます。

21日は護摩焚きなどもありますから、市以外のところに人はもう集まり始めていました。

とにかくなんでも売っているわけです。

そして、この市は歴史もあります。

まずは不動明王をお詣りをさせていただきまして、市を見て回ります。

黄色く染まった銀杏の下で松や榊が売られていました。

こちらは、五重塔がある場所に面した南大門。

道路端にも店が並んでいます。

ほら、五重塔が見えるでしょ。

こんな文化遺産のある場所で市が行われるなんて、東京に住む私は考えられないんですが、東京でもお寺で骨董市が行われるのは、その流れなんですね。

 

元々”縁日”とは神仏がこの世と”縁”を持つ日とされており、この日に参詣すると大きな功得があるということなんだそうです。

東寺の弘法市は祖師空海入寂の3月21日を期して1239年以降、毎月行われていて、境内のすぐ横まで広がる露店は常時およそ1200〜1300店ほどで、毎月約20万人ほどの人が訪れているといいます。

ほらほら、後ろに見えるのは金堂ですよ。

古着から、お好み焼きまで、なんでもかんでも売っています。

今回、来年の干支の香合を探していたのですが、残念、出会いはありませんでした。

なので、さば寿司を買いました。

行列をなしている店を覗くのも楽しいわけですが、自家製すぐきが人気でしたね。

信じられない安さですしね。

干し柿を京都ではなんと言うんでしょう?古老柿、古露柿(ころがき)ですか?

こちらも自家製のようでした。いい感じに仕上がっています。季節毎にこういったものを愛でるのも文化継承なんでしょうね。

 

東寺2017

本日最後の目的地へと向かいます。

いったんホテルへと考えていましたが、美術館前から出ているバスが、丁度目的地に向かう叡山電車の乗り継ぎができるようなので、こちらを優先しました。

結果オーライ。

目的地の貴船神社はスタート地点高尾と同様、時間がかかりました。

 

まずバスを”元田中駅”で降りて叡山電車に乗り換えます。

写真は列車内ですが、紅葉時期、もみじ電車として、市原駅〜二ノ瀬駅間車内の電気が消えてライトアップされた紅葉を楽しむことができます。

 

『もみじのトンネル』

貴船口で電車を降り、すぐに停車しているバスに乗り参道へ。

暗くて良くわかりませんがここは夏は川床で有名な貴船です。

旅館も数多くあり、夏はまた違う人並みがあるのだと思いますが、なかなか幻想的な風景です。

到着まで10分くらい歩いたでしょうか?ひたすら坂道を歩きましたから遠く感じました。

京都のみならず国内でも屈指の縁結びパワースポットとして知られる【貴船神社】に到着です。

貴船神社は、貴船山と鞍馬山とに挟まれた谷合の地に鎮座する神社で創建年代は不詳とされていますが、有史以前、太古よりの信仰の地であったと言われています。

本来的な意味でのパワースポットとは、周囲の山や水場などが作り出す精妙な地理的要因によって、大地を流れる「気」が局所的に強く噴き出す場所=「龍穴」が生まれる場所のことどそうですが、貴船神社はその代表とも言える一社なのだそうです。

全国に450ある貴船神社の総本社で、地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」といいます。

各社殿を照らすライトアップは、時が経つのを忘れてしまいそうな美しさです。

貴船の杜から湧き出る水は名水との評判が高く、古くから茶人に珍重され、これまでに一度も枯れたことがないそうです。

特殊な波動が奇蹟の水とし世界的に知られるフランスの「ルルドの泉」の水と酷似しているらしいです。

本宮。お参りさせていただきました。

さらに貴船川の川下から川上方面に向かって鎮座する結社・奥宮をめざします。

さらに坂道を数分。

暗さがさらに霊験を高めます。

春日灯篭が連なる参道。

奥宮に到着です。

奥宮の祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とするが、本宮の高龗神と同じ神であるとされています。
降雨、止雨を司り、降った雨を地中に蓄えて適量湧き出させる働きを司る神様で、「龗(おかみ)」という字は「龍」を意味する古語です。

水のパワーを感じ、駅に戻るとこの景色。

残念ながら、もみじ列車は25日までのようですが、まだまだ紅葉は楽しめる気配の貴船でした。

東山七条にある京都国立博物館は、上野にある東京国立博物館と同じようにその建造物が魅了的なので、入館したいと思っていましたが、昨年来た時は丁度『国宝展』が開催中で、午後5時に前を横切った時、二時間待ちの行列であきらめました。

博物館は6時閉館でしたので、まず豊国神社へ行ってから入館することにしました。

こちらは、その豊国神社の並びにある正門の前です。

夕暮れ間際、気さくな警備員さんが私を撮影してくれましたが、

残念(T_T) 私、豆粒です。

煉瓦造りの博物館ではなく、上野と同じく平成になってできた平成知新館での公開は、京都らしいテーマの『京のかたな』展。

よくわかりませんが、平安時代から現代までの刀工たちの作品が展示されているというので、出逢いを求めて入館いたします。

この平成知新館、デザインにとても惹かれました。

開館は2014年9月。

京都国立博物館自体は昨年120周年だったようです。

だから、国宝展、だったわけですね。

 

かたな展は、多くの方々でいっぱいでした。

夕方、美術鑑賞をすることがないので東京の状況はわからないのですが、文化財を多く抱える京都ならでは、意識が違うな、と思いました。

6時過ぎ、すっかり日も沈み。京都タワーが浮かびあがりました。

通常は、5時、特別展のある時は6時。金曜日は8時までが開館時間ですが、このナイトシーンはなかなか素敵です。

 

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀る神社で、全国にある豊国神社の総本社です。

養源院から近いところで、以前から機会があればと思っていたので、訪ねてみました。

日が陰り始めていましたので、社寺めぐりは、ライトアップしたお寺をのぞけば本日最後の場所です。

 

豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となりましたが、のちに明治天皇の勅命により再興されました。

京都の人々からは、「ほうこくさん」の名で親しまれています。

正面には伝伏見城遺構の国宝唐門がそびえています。

『宝物殿』を拝見しました。

「豊国祭礼図屏風」は重要文化財だそうですが、祭事の盛大さがうかがい知れます。

並びにある鐘楼が目に入ったので行ってみました。

方広寺とありまして、豊臣、徳川の引き金と伝えられる「国家安泰」の鐘です。

大きな梵鐘の銘文の一部に「国家安康」「君臣豊楽」を「家康の名を引き裂いて呪詛(じゅそ)するもの」 といいがかりをつけたのが大坂冬の陣へとつながったそうですが、左上、白っぽくなっている箇所に刻まれています。    

三十三間堂の裏手にある『養源院』

やっと訪ねることができました。社寺はほとんどが拝観が4時位で終了していしまうため、前回この近くにいながら来ることができませんでした。

俵屋宗達の筆によるこの杉戸を見てみたい!これが一番の望みでした。

ところが想像以上の感動でした。

と、いうのも、こちらをご案内してくださった方の説明と熱意が伝わったからでもありました。

養源院は、1594年に浅井長政の長女・茶々(淀殿)が、父の菩提を弔うために、21回法要の時に夫である豊臣秀吉に願って創建した寺院です。寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられました。
25年後の1619年に落雷にあい、寺院は焼失しますが、2代将軍徳川秀忠の正室となった三女・お江(法名:崇源院)によって再興され、現在の本堂はお江によって再建されたものだそうです。

こちらには、創建者の淀殿、再建者のお江の肖像画、そして日本史の教科書でよく目にする豊臣秀頼の肖像画があり、特に、お江はここでしか見ることができないそうです。

浅井家ゆかりの寺院であることもしることができました。

 

養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。

お江と秀忠の位牌は、「菊」「葵」「桐」。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけだそうです。「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられ、「葵」は歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋ということになります。

 

境内のみどころは、当時無名だった江戸の絵師俵屋宗達が認められるきっかけとなった奇抜で斬新な『白象図』や『唐獅子図』。

これは正面から入ってきた時、出て行った時の工夫が凝らされています。

兵士の血痕や、元忠が自害した場所といわれる跡がくっきりと残されている『血天井』。

伏見城を守っていた武将・鳥居元忠を筆頭に残った兵士は「中の御殿」に集まって自刃し、伏見城は落城しました。

今の本堂は、伏見城の中の御殿から移築されたもので、元忠らの菩提を弔うため、床板は天井に上げられたそうです。

『うぐいす張りの廊下』は伝説の彫刻職人・左甚五郎の作品といわれています。

参道の紅葉は残念ながらわずかに染まるにとどまっていましたが、得たものは多かったです。


行ったであろう場所を訪ねてみる。また、再発見があります。そして、京都の春秋は、普段見れないものが拝見できる貴重な時期です。
世界遺産 御室【仁和寺】
御室とはこのあたりの地名だそうですが、御室と言えば仁和寺です。
このあたり、オムロンの創業地でもあるそうです。

神護寺の復路でもあったので、寄ってみることにしました。

仁王門には、

阿形、吽形の金剛力士像。
京都では珍しい道路に面した京都3大門のひとつだそうです。

『仁和寺御殿』といわれる御所風建築物が特長だそうです。

順路を歩いて行きます。

京都の社寺は本当に紅葉がよく合います。

手入れの行き届いた庭。五重塔が見せ所になっています。

高尾に比べると紅葉はかなり遅れています。

『霊明殿』
ご本尊の薬師如来像は仏像のなかでは日本一小さな国宝だそうです。

王朝の雅を偲ばせる宸殿と対照的なのが二つの庭園だそうです。

寺といえども門跡寺院。風格があります。

もみじの姿ありました!

やはり勅使門があります。他に薬医門、皇族門などが宸殿近くにあります。

宸殿をあとにして中門をくぐります。

浄心の参道を進むと、左手に春、洛中最後を飾る御室桜があります。樹高が低く遅咲きで”お多福桜”の愛称で親しまれています。

右手に五重塔。五重の屋根がほぼ同じ大きさなのだそうです。

阿弥陀三尊像をお祀りする建物は京都御所の紫宸殿(御所でもっとも格式の高い建物)を移築した国宝『金堂』。
仁和寺の最も重要なお堂だということです。

こちらで非公開を貫いてきた裏堂の壁画を拝見しました。
五大明王壁画は阿弥陀三尊の背面にあり、公開されるのは実に372年ぶりだそうです。見どころの説明もたいへん楽しゅうございました。

金堂の屋根。

このような繊細な装飾は見たことがありません。

こちらも特別公開の『経蔵』
内部には回転させるとそれだけで経典を読誦したのと同じ御利益が得られるという回転式の八角輪蔵が設けられています。
また、その輪蔵には一切経が収められている768の経箱が供えられています。

『金剛菩薩像』お花の菩薩像だそうです。
生け花御室流は仁和寺を創建された初代門跡、第59代宇多天皇を流祖と尊崇し伝承されている華道流派なのだそうです。

横にある霊宝館では、秋季公開のさまざまな仏の姿を拝見いたしました。
たいへん充実した時間が過ごせました。


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