初七日が過ぎ、杏の遺影を決めました。
8月8日に撮ったもの。
まだあどけなさが残るけど、小梅とは見分けがつくようになって、男のコらしい成犬の顔立ちになった頃のものです。
その間杏を、大好きだった八ヶ岳の芝生広場と、山荘の風にしてあげました。
東京へ戻るとたくさんのお花が玄関先に届いていました。
翌朝、杏の病気の知らせにお守りをわざわざ家まで来て渡してくださったモカちゃんとパパさんに会いました。
御札の八幡さまの近くで、お返しをしないといけないなぁ、と、思っていた間もなくでした。
その朝パパさんへの報告と、お守りをお返しできました。
人とのご縁や偶然は、やっぱり必然的に起こるような気がしました。
翌々日の夕方、みやびちゃんのパパさんママさんが訪ねてきてくださいました。
哀しみにどっぷり漬かっているので、義母には、近所の方にはまだ言わないでいてね、
そうお願いしたけれど、どうやら伝わってしまったようです。
仏前に供えることのできるお花が入ったアクリルのキャンドルを杏にとくださいました。
お二人には、私達の浅はかな供血をお願いで、気まずい思いをさせてしまいました。
こうして、お悔やみにお二人で来ていただいたこと、その真摯なお気持ち、優しさ、本当に申し訳なく思いました。
キャンドルは、日が暮れる頃に点け、とても素敵です。
杏は、私達と過ごした日々、どんな様子で過ごしていたか?
楽しそうにしている姿をファイルにしようと写真の整理をしました。
その作業をしている最中、ハルくん、マロンくんのママさんからブログを見ましたと、メールをいただきました。
杏の訃報は、亡くなった日の週末、供血に駆けつけてくださるとお約束していたヒーローママさんにお断りのメールをしたことで皆さんに伝わっていました。
写真の杏は、幼い頃、成長期、とても楽しそうでした。
救われた気がしました。
短かったけれど、笑顔の時が多かったと…。
でも、なみき動物診療所に行ったらば、毎日通ったことや、皆さんに供血していただいた日や、辛そうにしていた日のことが思い出され、涙が止まらなくなりました。
私達の選択は間違っていたのではないか?
そっと見守っていた方が良かったのではないか?
今はそんな後悔に似た気持ちで、心が晴れてくれません。
寿命という言葉は、命がある間の長さのことであり、生まれてから死ぬのことである。
Wikipediaにはそうありますが、
ことぶきという文字が使われていますので、杏に当てはまる言葉ではないような気がします。
そんなことを考えたり、
癌という病気について、身近にあって改めて、それが色々なタイプがあり、難しい病気であるということ、
杏がいなくなってから、強く思うようになりました。
心が弱っている時、ちょっとした言葉で傷付くものですが、
「うちの犬が癌でばかり死んでいる」(そうではありません)
とか、
「飼い始める時にわからなかったの?」
などという言葉を聞いた時は、悲し過ぎました。
慰める言葉として言ってくれたのかもしれません。
でも心が弱っている時、それは痛みになります。
私たち、奇跡を信じて3か月、家族同様の杏中心で過ごしてきたんです。
その喪失感、わかってもらえるでしょうか?
身近な経験がないと、医療に携わる人たちにも、それがどういう辛さなのか、本当のところわからないことなのかもしれません。
延命の中には希望も潜んでいますが、化学療法がいいのかどうか、今でもよくわからないでいます。
- 2015.05.24 Sunday
- 犬の病気
- 09:20
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- by kisetsuomederu