我が家は同居する高齢者がいるので、介護についての文章があるとつい読んでしまいます。
最近、読んだ相談記事はこんなでした。

「高齢の親の面倒をみるために今までのキャリアを捨てて帰郷しようと苦渋の選択をしました。しかし、その結果自分の人生は志半ばで終わってしまうと諦められない気持ちもあります」
そんな内容のものでした。

記事は確か文春に掲載されたもので、返答したのは歯に衣着せぬ物言いの伊集院静さんでした。
伊集院さんも両親のために悩んだ時期があったそうです。

しかし両親は、自分たちの介護のせいで育てた子供が成長し実ることを止めることを望んではいないことが、お父様の言葉でわかったそうです。

この記事を打ち込んだのは2015年3月4日のこと。
私自身、一緒に住む義母のことで日頃から傷み、悩んでいたのだと思います。

その義母が、施設に入所しました。
世間から見れば、車椅子の必要もなく、見た目社会性があるように思われる高齢者を施設にいれるのは可哀想では?と云われてそうですが、一緒に暮らす私達にはもう限界でした。
母の状態ももうそういう時期にきたのだと判断しました。

口喧嘩は増すばかり。
入所直前は穏やかに過ごして欲しいと全てを受け入れましたが、この一月特に酷く、毎日あれがないこれがないと騒ぎ、言ったことやったことは瞬時に忘れるという状態でした。

大事なものを隠す癖があって、通帳の再発行に伴った時は、すでに常習犯であることがわかりました。
自分のお金は自分で管理したいという要望に負けて全てをまた渡しましたが、その後またすぐに同じ事態に陥りました。

イライラして怒ってばかり、ストレスを感じ、夫婦間でも喧嘩ばかりしていました。

良い時もあるので、会話が成立していると思うと、数時間後は初めて聞いたと繰り返す有り様。
同じことを繰り返し聞いたり言ったりする行為は、非常に疲れるものですが、それがほぼ毎日、何度も繰り返し、相手の都合はお構い無しなのですから本当に困ります。
もちろん本人はそのことに気づいていないので世話が焼けるのですが、病気なのだとなかなか割りきることができないのは家族にはお互いがそうなように、要求と期待があるからだと思います。

義母の場合、認知症と診断されたのは精神内科を受診した2012年だったと思います。
軽い症状があるものの、生活の自立できていましたし、大したことではないと思っていました。

2013年、様子がおかしくなって地域包括センターに相談に行きました。
息子が二人おりますが、まるで無関心、孤立無援でした。
症状を伝えて、典型的な痴呆の症状でサポートが必要だと言われた時は、救われた思いがしました。

それから介護の支援を受けることになりましたが、デイホームへの通所やヘルパーさんからのヘルプは「くだらない」と言って消極的で、
「指図されるのは大嫌いなのよね」だとか、「またお小言?」など言われながらも緩やかな進行を見守っていました。
しかし今夏、一日中一緒に過ごしてみると、モーレツに認知症が進行していることがわかりました。

日頃、干渉されるのを嫌がることと、二世帯住宅で、日中は私達も不在で接触することがないので、その様子に愕然としました。

その後すぐ、これでは病院などの意思疎通も難しいだろうと着いていくとやはり自分の都合のいいことしか言っていないことがわかりした。
おまけに病院について付き添った私に「自分でできるのにこども扱いするな」とご立腹でした。

通院での伝達のいい加減さで義母の膀胱は機能していないことがわかり、尿管カテーテルとバッグが着けられた状態で帰宅することになりました。

本人はその見かけが精神的にダメージだったようで、みるみるおかしくなりました。

携帯電話や洗濯機などの機械ものの使い方を何度説明しても覚えられない。
旅先で同じものばかり着ている。
支度がなかなかできない。
時間の観念が曖昧になっている。
一旦寝ると朝なのか夜なのかわからない。

そんな調子はさらに酷くなり、電子レンジにお弁当が入りっぱなしだったり、炊飯器でご飯が炊きっぱなしなどがあり、いよいよな感じはしていました。

そんな時に高熱を出し一日中寝込んでしまいました。
泌尿器科を受診した10日目のことです。

一日中見守り、解熱はしたものの食欲がなかったので、帰宅した主人に相談し、精神内科と泌尿器科で通院している総合病院へ救急で連れて行くことにしました。

結果、入院。
尿毒症と偽痛風ということ以外問題はなく約10日間で退院になりましたが、注意を受けた通り物忘れはますます酷く、なぜ入院したのか、今日は何日なのかと、行く度に聞いていました。

泌尿器科を受診した際に装着された尿管カテーテルのバッグは、活動しやすいようにとキャップに変えていただきましたが、キャップについている突起にベルトをかけるのができないでいました。

退院前夜、施設を探そうと思っていると伝えていたケアマネさんに来ていただき、早急に探す方向へ変わった話をし、施設の説明を受けました。

施設を探すのは、自力でしなければならない作業でした。
また、母の状態に適応する場所であることも重要でした。

施設に入所するまで、週2日だったデイホームを3日に、お掃除をお願いしていたヘルパーさんは中止にして、食事とトイレの見守りを2日、それと1日、看護士さんが訪問してくれることになりました。

本来なら長男にその役目を果たしてもらいたかったのですが、一向に着手している気配もないので、入院中から施設廻りをすることになりました。
本人も自分から新聞にチラシが入っていたので、ここはどうかと言ってくるほど理解を示していました。

退院してまもなくは4時間置きの尿排泄の見守り、食事、入浴などの管理、早朝からにしていただいたデイホームの見送りと、本当に大変でした。
心の平安のない怒涛の日々でした。

本人との見学、面接も終了し、入所日程が決まり、準備をすることになりましたが、まるで泥棒が入ったようにタンスの中のものを床に撒き散らす有り様を見て、確実に用意は無理だと思いました。

今夏一緒に過ごした時に毎日同じものを着ていたのは、何が必要で何を用意して持って行ったらいいかということができなくなっているからでした。
家の中に同じものが幾つもあったのもそういう理由からだと思います。

施設では新しい生活が始まるわけですが、それについての形が見えないわけです。
故に何をすればいいのかの優先順位もわかりません。
承知の上でしたので、なるべく参加を促しながら作業を進めました。

一枚一枚の名入れ作業には、馬鹿馬鹿しいと言っていました。

日程が決まった時点で、以後のデイサービスは中止し、したいことをさせるようにしました。
食べきれない食材を買い込むことも、不要と思われる日用品も、煙草を吸うこともお酒を呑むことも見守っていました。

全てのものを持ち込むわけではないので、思いの外作業は早く済みましたが、入所までの3日間は、あれこれと無茶を言いました。
けれど、穏やかに過ごしていて、私に譲ると着物やバッグを出したりしていました。
勤めていた時の数々の品は、行き場を決められずにそこに有りました。

そして入所当日、人が変わりました。
入所まで、毎日、明日か?今日か?と聞いていましたが、当日は確実にその日とわかっていたようで、朝から鬼の形相でした。
伴う私が、点滅した信号を渡ろうとしたので遮ると、その手を振り払い「触らないで」と言いました。

到着して、入所に際してケアマネさんや看護士さんがカラダのチェックをされたりする時も拒否反応を示していました。

「私は何でも自分てできるのに、ぶちこまれた」
頭の中ではそう思っていたのだと思います。

現金の入った封筒を預かりましたら、金額と一緒に、「子に捨てられた日」と書いてありました。

翌早朝に電話が入りました。
置いてきた携帯電話は、操作がわからなくなっていたはずなのに、かけてこられたことが不思議でしたが、夫曰く「必死」だったのだと思います。

出掛けにきちんと本人に持参するものを確認したことはすっかり忘れ、あれはないこれがないと言いました。

長男を呼び出し、「ここには居られないから、お前のところに行くか、自立型の施設を探してくれ」と言っていました。
長男夫婦とは同居して僅かでうまくいかず私達のところにすがったことも忘れているのか?
施設を出る要望が全てを削除する力を持っているようでした。

友人にも電話をかけ、呼び出し、
「一刻も早くここを出たいので、自立型の施設を探してくれ」
そう言ったそうです。
心ない次男夫婦に追い出されたと感じたご友人は、探す前に「待てよ」と、連絡してきてくださいました。

切羽詰まった状態にきていたこと。
友人には内緒にしている低活動型膀胱であることを説明し、納得していただきました。
時間の感覚や人を気遣うことができなくなっている母は、早朝、深夜問わず連絡してきたそうです。

自立型を希望するならば、自身がそこを選択して入所出来たはずです。
面接に行って、私の入る場所でないと拒否できたはずです。

約10日間、そんな状態が続きました。
一時的なことと願って、どんなことを言われても見守っていました。

今は落ち着いて、生活に馴染んでいこうと思って努力してくれているようです。
あれこれと要望が多いのは、面会に来てということだと思います。

穏やかに過ごしてくれることを切に願います。

今日は介護の日だそうです。
認知症はさまざま。
精神のコントロールは時に難しくなります。
そばにいるものだけが知る傷み。
介護というものは、家族だけでは抱えこめない問題であることを当事者として学んだような気がします。

Comment
こんにちは。
お久しぶりです。
いつも楽しく拝見しています。

お母様の件、お悩みのご様子。
お察し申し上げます。

私は私の両親の叔父たちをそれぞれが子供がいないため見送り、
先日ついに母を見送りました。

それぞれが違った老い方で
その都度それぞれの対応をし
結果いずれも少なからずの後悔をしています。

また15年一緒に過ごしたダックスも
先日送り、これもまた後悔が残ります。

次ぎは父や主人の両親かも。
後悔のないようにと思いながらも
きっと色々と悩むでしょう。

答えはないのかもしれません。

よかったらまたお気持ちをアップしてください。
大変な事、つらい事、寂しい事
せめて気持ちだけでも寄り添わせてください。

  • k.kiyo
  • 2017/11/16 13:04
kiyoさま
コメントありがとうございます。

義母は今落ち着いて、頼りは貴女だけなーんてことを言ってくれるようになりましたが、これからまた進んで行くと、悲しさや切なさが深くなるのだと思います。

ブログにぶちまけたのは、愚痴と責任転嫁ですが、老いてわからなくなるのは、本人も家族もつらいものです。
しかしkiyoさんがおっしゃるように、答えはないのですよね。

悲しみが続いてしまわれたのですね。
kiyoさんはどんな風にして、乗り越えているのでしょうか?

それと、ファミリー会ではお目にかかっているでしょうか?
  • kisetsuomederu
  • 2017/11/16 15:03





   
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