今朝は、婦人病の検診が、ありました。
このところ、梅雨の長雨と夫は仕事で、週末のお出かけがないうちのワンコたちはかなり欲求不満気味で気の毒なのですが、
梅雨明け宣言間近なのでは?の夏の陽射しとなり、犬孝行も厳しそう。

せっかく外に出ましたし、病院臭を払拭したい気分もあり、
電車をあまり乗り換えせずで行ける催しものはないかと探してみました。

私の、食指を動かしたのがこちら。
サントリー美術館、乾山も見に行けていないのに、足はこちらに向きました。
三菱一号館美術館で、この手を展示するのはめずらしい…。
だいたいがデコっぽいもので、開館以来に訪れることになりました。

河鍋暁斎 (かわなべ きょうさい)1831-1889
幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じて、その正統的な修業を終え、幕末明治に「画鬼」と称され、絶大な人気を博した絵師です。

何を知ってるか?
その多くは、戯画や妖怪、そのような作品を見ているような気がします。
ですから、興味をそそられました。

この暁斎展を三菱一 号館で開催するきっかけであったのが、
この美術館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852 -1920)であるといいます。
サブタイトルにある
”幕末明治のスター絵師と弟子コンドル”

弱冠24歳で来日した日本の近代建築に多大な功績を残したコンドル氏は、
三菱、岩崎家の邸宅を多く設計しました。
鹿鳴館をはじめ現存するものは少ない中、不忍池にある旧岩崎邸、駒込にある古川庭園内洋館など、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いたという作品は、その時代を知ることのできる素晴らしいものばかりです。

奥さまは日本の方だったようですが、日本美術愛好家でもあり、
上野美術館を設計したことで、その時の賞を獲得した、のちに榮太郎総本舗が当時のお金で100圓で買ったという鴉の作品に感銘し、暁斎に弟子入りして絵を学んだそうです。

弟子として細密な作品を残しただけでなく、暁斎の作品を海外に紹介し、
また、自身も購入し、パトロンとしても支えたのだそうです。

そういう関係は全く知りませんでした。
 
この内国勧業博覧会で最高賞を受賞した「枯木寒鴉図」(明治14年 1881) 作品は、
暁斎自らが、当時としては破格の百圓という値段をつけて非難されましたが、栄太樓の主人がお買い上げになり、これをきっかけに暁斎の鴉画が大人気となったという逸話があるそうです。
当時としては破格のお値段だったわけですが、今もこの画は榮太郎総本舗が所有しているそうです。

展覧会では、三菱一号館美術館開館5周年を記念し、コンドルの業績とともに、彼の敬愛する暁斎の厳粛さからユーモアまでただよわせる型破りな画業を、様々なジャンルにわたる国内外の名品約130点が展示されています。
その中には春画もあり、紗のカーテンの奥に展示してある演出、洒落ていました。

8歳の時に生首を拾って写生しようと思って見つかってしまったというエピソードは、
夥しい数の素描、多彩な活動が、画鬼と呼ばれ、狩野派の異端児であった暁斎の豊かな才能の表れであったことを物語り、
今展覧会で存分に堪能できました。

二重橋から向かう庭園を通りすぎての入り口。
迷路のような美術館ですが、復元された各所を楽しむこともできますし、
中庭の見える廊下は、建物の外観や階下の緑が美しいスペースです。

この位置から見る外観、
いいですよね。
写生していらっしゃる方がおられました。

画鬼 暁斎 オフィシャルサイト

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