金閣寺前からバスに乗って、同志社前までバスで移動します。
春に同志社大学あたりをぶらぶらしていたのにこちらはスルーしてしまい失敗したと思っていました。
ですから今回は外せない場所でした。

臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。

夢窓疎石を開山とし、創建当時は約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられているそうです。
金閣寺、銀閣寺がともに相国寺の塔頭寺院であることは、今回知りました。

さすがに大本山。境内、広大です。

鐘楼の北に祀られている宗旦稲荷。

ここには宗旦狐の故事が伝わっています。
江戸時代の初め頃、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいました。その狐はしばしば茶人・千宗旦(1578−1658)に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅をくみ、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していました。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびでしたが、ある時、宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していました。驚いたことにその点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦はその事に感じ入ったといいます。これも、宗旦の人となりを伝えた逸話です。
その伝承のある「い神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられています。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室より大きくなってしまったとのことです。
宗旦狐は店先から油揚げを盗み、追いかけられ井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられています。化けていたずらをするだけでなく、人々に禅を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養しました。それが今でもこの宗旦稲荷として残っています。
この逸話は文献を調べてみると、儒学者として名高い尾張藩士の深田香実が1830年(天保元)に発刊した『喫茶余録』の中に出てき、これが初出だと思われます。(相国寺HPより)

ここは庫裏(台所)だったところのようですが、現在は社務所のようでした。

てっぺんにはこれこそはの鬼瓦。

さて、今回はこちらが拝見できます。

相国寺で一番古い法堂は鳴龍の天井画があり、体験させていただきました。
とてもスピリチュアルな空間でした。

方丈には、俵屋宗達の像を真似たような像の杉戸がありました。

夢窓国師好みの方丈庭園。

裏方丈庭園。

禅宗の伽藍の配置は南北に山門、仏殿、法堂、方丈が同一軸線上に並んで建てられているのが特徴だそうです。

開山堂。その名のように開山夢窓国師の木像を安置している堂です。
前庭。

相国寺

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