お世話なってばかりなのは私達ですのに、茶道の先生からお年賀をいただいてしまいました。面目ない( o´ェ`o)
楽しみにお熨斗を外してみますと、

やわらかなメローカラーの包装紙。
これは!と、思いましたら予感が当たりました。
製造元は末富ブルーの包装紙で有名であり今日庵御用達の末富さんでした。
ペールグリーンのはんなりとした感じは紙マニアは心惹かれるのではないでしょうか?

『ふのやき』でした。
ふのやきと云えばかの利休が考案したお菓子ではなかったでしょうか?
私の中では、青山骨董通り【菊家】のふのやきでしたが、今は様々な菓子匠でお目見えしているようですね。

▼千利休とふの焼▼

千利休と豊臣秀吉

千利休(1522〜91)といえば侘び茶の大成者としてあまりにも有名です。大坂堺の商人の家に生まれた利休は、早くから茶の湯の道に入り、23歳頃には茶人として知られるようになっています。その後、織田信長ついで豊臣秀吉に茶頭として仕えました。
豊臣秀吉とともに禁裏茶会や北野大茶湯を催すなど、茶の湯の第一人者となっています。また、秀吉の側近のひとりとして、政治向きの重要な相談にも関わっていました。しかし、天正19年(1591)2月28日には、その秀吉より死を命じられ切腹しています。この原因については、古くから諸説ありありますが、石田三成等との対立によるとも言われています。

利休の好み菓子

死の前年にあたる天正18年8月から翌19年閏正月までの間、利休は頻繁に茶会を行っています。その茶会の多くは『利休百会記』に記されていますが、88回中68回の茶会に「ふの焼」という菓子が使われています。
当時の菓子は、「昆布」や「栗」や「饅頭」など素朴なものが多いのですが、「ふの焼」の使用回数はぬきんでています。そこから後世、「ふの焼」が利休好みの菓子と言われるようになりました。

ふの焼の作り方

「ふの焼」の製法は色々あったようです。良く知られているのは、小麦粉を水で溶いて平鍋に入れて薄く焼き、味噌を塗って丸めという作り方です。また味噌の替わりに刻んだくるみ・山椒味噌・白砂糖・ケシをいれたものもあります。
虎屋の記録によると、寛政5年(1793)5月、後桜町上皇御所へお届けした「ふの焼」には御膳餡を入れて巻いています。また、かつての江戸麹町三丁目の名物「助惣焼」は、小麦粉生地で、餡を四角く包んだもので、「助惣ふの焼」とも呼ばれていました。千利休が好んだ「ふの焼」も時代とともに様々に変化していったようです。
▲(虎屋文庫より)▲


末富の定番『うすべに』と同じ缶にこのような姿で入っていました。

また、
中には裏千家15代目家元夫人、千登三子さんのメッセージが入っていました。

末富製ですが、「宗旦銀杏」が刻印されているものは式亭のみで販売が許されているそうです。

餅米と味噌を合わせて小判型に焼いたもので、表面には醤油味の蜜が塗られており、茶会の席でいただけるように2口程度で食べられる大きさに作られているのだとか…。

『式亭』(株式会社ミリエーム)

京都市上京区小川通寺之内上る2丁目禅昌院町648-1
TEL(商品申し込み):0120-351-088

おまけ
こちらは茶匠【小山園】のお菓子です。
抹茶人気を受けておもたせ用に作られたのではないかと思います。

ふのやきと同じようなほんのり甘くサクサクとした食感で、いただきやすい大きさに仕立てあります。
しかも、個別包装。

しかし、先生がおっしゃっていた通り、抹茶が濃いお味で煎茶の方が合うようです。

久次郎煎餅は京都老舗『丸久小山園』特製の宇治抹茶と和三盆糖を使用し、昔ながらの製法で焼き上げた麩焼煎餅です。
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