雪は溶けだすと厄介なんですね。
足元が結構羽上がります。
お茶のお稽古は着物でと決めていますから、今日は大島に紬の帯を締めて、下駄で行くことにしました。
下駄はなかなか歩くのがむずかしいんですが、履きこなせたらいいなと思います。
今日は二人でのお稽古でした。
私は、小習の包み帛紗をさせていただきましたが、お茶名のあるYさんは四ヶ伝の茶通箱のお点前をされました。
Yさん、これを年明けにされることを目標にしていたらしく、今日は人数が少ないこともあって念願叶ったということでした。
上級者のお点前で、ブラジル(ご主人のお仕事の関係)で習得された時はお茶室を閉めきって、門外不出の状態で教えていただいたと言います。
それを拝見し、お客様までさせていただけるなんて、有難いことです。
お点前はこちらを参考に
包み帛紗は、濃茶器として棗を仕覆の代わりに使用します。
包み方は、棗を帛紗の中央に乗せ(わさが左下、帛紗の折る順番は下、上、右、左の順番にかぶせて、左上、次右上で結びます。
教本にはそう書いてありませんが、小棗でも結び目を作るのは大変です。
ぬがすときは、ひざ前で、棗の帛紗を一つ結び目をといて左掌にのせ、右手で端を引き出すようにとき、向こう、手前とはね、棗を持つと同じに四角に帛紗を折ります。(左人差し指を、帛紗の裏の線にあわせ、手前におりながら、手首を下に向け、帛紗を四つ折りにする。その時、親指は、帛紗の上。人差し指のみが、帛紗の間に入り、あとの指は、帛紗の外になります)
これが一番難しい!手品のようです。
更好棚を使用したのですが、薄茶器は四滴の手瓶を使用し真ん中に置かれました。(棗を濃茶器としてすでに使用しているので、薄器は棗以外が良いということです)
棗は通常に拭いて、茶を三杓入れる際の蓋も右膝前に置きます。
掻き出しするようにとありますが、回し出しで出し切れればそれでよろしいとのこととです。
指先で、かきだしたところをつの字でふきます。
拝見は、棗でも濃茶扱いなので、帛紗を下に置いてから、棗の蓋をとります。(帛紗をにぎりこんで、蓋を開けません)
拝見物を取りに出て、まず茶杓をとり、左手に渡し、それから棗を持ち帰ります。
(これも濃茶器としての拝見だからということです)
先生は、茶室が暖かくて椿が開き過ぎだと仰いましたが、いい姿です。
お軸は『竹有上下節』
たけにじょうげのふしあり
「松無古今色 竹有上下節」
松も竹も縁起のよい植物の代表である。これに梅を加える松竹梅は昔より「歳寒の三友」としてめでたさの象徴とされてきた。その松と竹のありようを有と無、古今と上下の対比をもって、仏教の妙理を示したことばである。
対句となっているが、茶掛けなどそれぞれに独立した禅語として用いられることが多い。
しかし、何れの句を用いるにしても、その対比するもう一句があることを含んでその句を味わってほしい。
「松樹千年翠」という語もあるように、松は古葉、若葉の交替はあっても、季節の移りの中でもその翠を保ち、古松に見る年月を経ても翠は変ることの無い一色平等を「松に古今の色無し」の語で示し、「竹に上下の節あり」の語で上下の差別歴然たる相を示している。竹にははっきりとした上下の節があり、上下の区別がつけられる。松には千年にわたる翠の平等がありながら、その中には古今の差別が歴然としてあるし、竹の節には歴然とした節という上下の区別をみるが、同じ一本の竹には上下の優劣は無く平等である。
ということだそうです。
人間には得手とすること不得意とすることがありますよ、とか、平等ですよ。ってなことでしょうか?
竹や松はたくさんの意味が含まれていますし、一月に相応しいお軸なのだと思います。
- 2018.01.24 Wednesday
- 茶道
- 16:05
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- by kisetsuomederu
こんにちは。
訪問ありがとうございます。
リネットさんは、日本の方ではないのですか?
茶道の世界へようこそ。
わたしもまだまだ修行の身ですが、総合芸術"茶の湯"は本当に学ぶことが多く、知れば知るほど奥が深いです。
そんな興味の対象に少しでもお役に立っているならば、大変嬉しいです。
これからも配信し続けますので、よろしくお願いいたします。