三十三間堂の裏手にある『養源院』

やっと訪ねることができました。社寺はほとんどが拝観が4時位で終了していしまうため、前回この近くにいながら来ることができませんでした。

俵屋宗達の筆によるこの杉戸を見てみたい!これが一番の望みでした。

ところが想像以上の感動でした。

と、いうのも、こちらをご案内してくださった方の説明と熱意が伝わったからでもありました。

養源院は、1594年に浅井長政の長女・茶々(淀殿)が、父の菩提を弔うために、21回法要の時に夫である豊臣秀吉に願って創建した寺院です。寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられました。
25年後の1619年に落雷にあい、寺院は焼失しますが、2代将軍徳川秀忠の正室となった三女・お江(法名:崇源院)によって再興され、現在の本堂はお江によって再建されたものだそうです。

こちらには、創建者の淀殿、再建者のお江の肖像画、そして日本史の教科書でよく目にする豊臣秀頼の肖像画があり、特に、お江はここでしか見ることができないそうです。

浅井家ゆかりの寺院であることもしることができました。

 

養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。

お江と秀忠の位牌は、「菊」「葵」「桐」。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけだそうです。「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられ、「葵」は歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋ということになります。

 

境内のみどころは、当時無名だった江戸の絵師俵屋宗達が認められるきっかけとなった奇抜で斬新な『白象図』や『唐獅子図』。

これは正面から入ってきた時、出て行った時の工夫が凝らされています。

兵士の血痕や、元忠が自害した場所といわれる跡がくっきりと残されている『血天井』。

伏見城を守っていた武将・鳥居元忠を筆頭に残った兵士は「中の御殿」に集まって自刃し、伏見城は落城しました。

今の本堂は、伏見城の中の御殿から移築されたもので、元忠らの菩提を弔うため、床板は天井に上げられたそうです。

『うぐいす張りの廊下』は伝説の彫刻職人・左甚五郎の作品といわれています。

参道の紅葉は残念ながらわずかに染まるにとどまっていましたが、得たものは多かったです。

Comment





   
この記事のトラックバックURL : http://blog.kisetsu-o-mederu.com/trackback/1266678

Calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

Archive

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM