今日は出だしが遅くなり、治療に行ける時間が過ぎてしまったので、また思いつきで東京散歩をすることにしました。
体温越えの暑さを観測するかもと言われていましたが、気持ちのある時に出掛けるが吉!いつもそう思ってたくさんの発見があります。
用事を終えた時間は12時半、15時頃には現地を出る目標を立てて、柴又に向かいました。
時間はかかりましたが、経堂からは金町まで、乗り換えなしで行くことができること、はじめて知りました。

京成に乗り換えて1つ目、柴又に到着です。
前に一度来ているらしいのですが、まったく記憶がありません。

やっぱりこの街と言えば「寅さん」ですよね。
左足をさするとご利益があるということです。

見知らぬ街は不安なものですが、さすがに名の知られた場所なので、すぐに参道でした。

うなぎ屋さんが軒を連ねます。

門前町のこの風情は魅力的ですね。

「寅さん」が産湯に使った帝釈天、駅からわずかな時間で到着です。

境内、とても立派でした。

鐘楼も見事です。

今日の目的地は別のところにあったので、下調べもせずでしたが、靴を脱いで参拝しますと、彫刻ギャラリーと庭園が拝観できることがわかりました。

本殿右、この奥が庭園。
まずは、拝観料をお支払いするのがギャラリー側だったので拝見することに。

いやー、スルーしなくて良かったですー。
帝釈堂内殿の外部が東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われていて、それを平成3年にガラスの囲いをつけて、保存、公開をしているそうですが、素晴らしかったです。

この作品は、最初に羽目板の彫刻をした加藤寅之助の作品。

法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したものだそうですが、とても1枚の板を彫って作ったとは思えないような立体感で、驚きましたー。

このような彫刻が10、あるわけです。

うまい具合に保存されたなぁーと、へんな感心もしてしまいました。

そして今度は邃渓園を拝見します。

まずはこのような廊下、右手に部屋、

左手が庭園です。

よく手入れされ、美しいので、ど感動でした。

大客殿前に広がる池泉式庭園ということですが、

屋根付きの廊下から見ることができるスタイルです。

庭園への立ち入りは禁止されているそうですが、雨の時はまた美しいのだと想像します。

昭和4年(1929年)、大客殿の竣工に合わせ作庭を始め、少しずつ手を加えながら、昭和40年(1965年)にほぼ現在の形になったといいます。
東京都内に所在する寺院の多くは関東大震災や第二次世界大戦により被災して移転し、付属する寺院庭園においても、その際に改変されたものが多いのですが、そうした中で邃渓園は、戦前から作庭を開始し大規模改変のない庭園として、芸術的・学術的価値があり、貴重であると高い評価を受けているそうです。
2016年3月11日に「東京都指定名勝庭園」に指定されています。

作庭は向島の高名な造園師である永井楽山翁。

佇まいに惹かれて、手を浄めさせていただきました。『御神水』これが、寅さんの産湯?ということでしょうか?


ここ、どこだ?

山本亭へ行った時、入り口付近に左へ行くと『矢切の渡し』とご案内がありました。
山本亭の裏手は土手でした。
なんだか想像していない光景でした。
絶対またはないから、行ってみることにしました。

花火の準備もされていた江戸川の土手です。
歌にもなってヒットしたので、もっと演歌な感じと思い込んでいました。

今はこんな様子。茶色いところ、ヘリポートでしょうか?

江戸時代初期から続く、柴又と対岸の千葉県を結ぶ渡し船。都内に唯一残る貴重な渡し場。
片道200円だそうです。


後楽園へは行っても、【小石川後楽園】へは、さて、出かけるか!ということがなくて過ごしていました。
こういう庭園は、外国からのお客様が、訪れていることが多いのかもしれませんね。

帯広から来た友人と待ち合わせして、ボランティアガイドさんの説明を受けながら庭園巡りとしゃれこみました。

水道橋の駅から徒歩7〜8分でしょうか?
すこし早めに到着したので、並びにあった中国友好会館の美術館を覗くことができました。

この奥が庭園のようなので、受付でガイドツアーのことを確認して、もうせんの椅子に腰掛けて虫除けを塗りながら友人を待ちます。

目の前の大きな池よりも宇宙船のようなドームが異彩を放ち、都会のど真ん中を実感します。

小石川後楽園は江戸時代を代表する回遊式築山泉水庭園で、徳川御三家の一つ水戸藩の初代藩主・徳川頼房によって築かれ、2代藩主・光圀(水戸黄門)の代に完成したそうですが、この変化はびっくりでしょうね。

ドラマ「水戸黄門」では、徳川光圀が江戸に立ち寄った際に、撮影セットですが滞在するシーンが多くあるそうです。

残念ながら花らしいものは睡蓮くらいだと言われましたが、このオカメザサは、刈り込みの成果があって、青々としていました。

京都の清水寺周辺を中国の名勝地”廬山(ろざん)”にちなみ”小廬山”と呼ばれているそうですが、ここからしばらく京都の景観が楽しめるので、この築山を”小廬山”と呼んでいるそうです。

涵徳亭(かんとくてい)は夏期は休亭中。
今利用することはできません。

"大堰川"
園内随所には日本各地や中国の名所が巧みに取り入れられ、変化に富んだ庭園だということですが、まずは京都の風景が見られました。

ここが大名庭園で造られる走りになったという""西湖の堤"。
青鷺が来ていました。後ろに見えるのはシビックセンターでしょうか?

関東大震災の時に消失して名残だけになりますが、清水観音堂があったそうです。
緑深く、築山を感じる小高い場所でした。

京都東山"東福寺"の"通天橋"を模写したといいます。
紅葉の陰が美しかったです!

一旦下りて大堰川の飛び石を渡ります。

大堰川から見る朱塗りの通天橋。

飛び石から土橋の"渡月橋"が見えました。

"音羽の滝"
水流が震災後決壊し、枠組みだけが残ります。

"得仁堂"
二代光圀が建てた、孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことにより名前がついたお堂。
18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置してあるそうですが、特別に鑑賞できる日があるようです。

"円月橋"
光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。

水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられたそうです。

京都の愛宕山を、なぞられて造られた男坂、女坂。

庭園の中に稲田があるのは、後楽園だけというめずらしい景色です。
これは農民の苦労 を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃だそうです。

現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしているそうです。

”九八屋(くはちや)”
「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする教訓により名付けられたそうです。

格子に特徴があり、江戸時代の風流な酒亭の様子を現しています。

松原から望む”蓬莱島”

信州の木曽路を見立てた周辺。

”寝覚めの滝”
この辺りの風景と滝の音を感じながら出掛けたといいます。

”大泉水”からみる”蓬莱島 
国の特別史跡及び特別名勝に指定されている庭園、日本人ならここを訪れて庭園文化を知らないと、ですね。

小石川後楽園


かねてより行ってみたいと思っていた池尻にあるIIDものづくり学校へ行ってきました。

世田谷公園は近いですし、この近くに住んでいたり、病院へ通ったりと地理感はあったのですが、いつも犬と一緒だったりのあたりをうろうろなので、訪問は叶うはずもなく、長い間を過ごしてしまいました。

IID 世田谷ものづくり学校は、廃校となった旧池尻中学校舎を世田谷区から借り受け、再生した複合施設です。

こちらが受付で、学校だったを想像させる椅子やテーブルが置いてあり、教室をオフィスにした方々の情報が知ることができます。

この札をいただいて見学ができます。

一階は入室可能なスペースが多く、

ミンネの作品コーナー、

スノードーム美術館などがありました。

2.3階はクリエイティブな会社が多くあり、皆さん、廊下もとっても工夫して使っていらっしゃいました。

映画制作会社や

"なかむら"という飲食店のプロデュースしている会社もあったりして、それぞれの会社案内もこんな形で紹介されていました。

学校だった名残はこんな形でも残っていました。

数々の撮影で利用されているといいます。

古い中学校でしたからトイレをお借りするときに勇気がいりましたが、

ものすごいリニューアルが施されていて、とても綺麗でした。

入口も出口とは別の工夫がありましたが、この巨大なピクトグラムは、

さすがにクリエーターの集まるところという印象でした。

懐かしかったなぁー、この水道。

楽しいワークショップも常に開催されているようです。
IID ものづくり学校


今日の目的地です。
こんなところがあることを知ったのは新聞で、こちらの写真コンテストの記事を見つけたところからです。
しかも、開園は水曜土曜日のみ。
と、いうことでしたので、病院の後に向かうことにしました。
今日も脳に楽しいを送りこみます。

入口ではボランティアの方が働いていらして、まずは靴を脱ぎますと布袋を渡され、貴重品以外の荷物をあずけます。
ほとんどが当時のままという貴重な建物ですから、保護のため仕方がありません。

こちらはナショナルトラストの活動の運営に寄って保存されているというお話でしたが、以前、成城学園前の猪股邸を訪ねた時もそうであると伺いました。

その活動が実り、こちらは来年耐震工事が行われるそうです。大切な文化遺産、もしもの備えは早いに超したことはないですね。

ボランティアガイドさんの説明を受けながら、大変楽しく観賞できました。

まずは応接間から。

大正8年(1919年)に「豊島園」の創設者である実業家・藤田好三郎氏によってつくられた近代和風のお屋敷で、大正12年(1923年)には、旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の娘婿である善四郎氏が買い取り、以来安田家の人々が住み続けた。平成10年(1998年)、東京都の名勝に指定。

素晴らしいのは、そのほとんどが当時のままあることです。

唯一の洋室には

サンルームがありました。

胡桃の木で作られた家具や柱。

2段のテーブルは上には飲み物、下には本や書類が置けるようなデザインになった特注品です。

サイドテーブル?実はてあぶりでした。

「残月の間」
織部床には、季節ごとの設えが飾られることがあるそうです。先日までは端午の節句の設えがあったとか…。

棟札。この大きさで、どのくらいのスケールの家なのかがわかります。
ゼネコン大手の清水組の名があったそうです。

灯りも素晴らしい細工がされていました。

生活の場であった和室。

猫間障子というものらしいです。

お炭が使える水屋。茶室ではなく、このように使っていたのですね。

雨の日は悪くないですね。水を含んだ緑は本当に瑞々しい。

どくだみさえも飾られる場所が素敵だと雰囲気がありますね。

こちらを寄付された奥さまが住まれる場所を確保するために奥の場所は売却されたそうです。

庭の一部には防空壕があるそうです。

こちらのお台所が素晴らしかったですね。昔の台所は北側といいますが、こちらは採光がとれる天窓があり、おふきんも洗い物も日光消毒できるような工夫かと思いました。

水屋たんすと冷蔵庫。

お台所の一角。向こう側がお風呂場。

脱衣場。

お風呂場。

二階客間へ。

おさ欄間というらしいです。
竹の節で寺や屋敷に多く、結界の意味も持つそうです。

出書院とか言ったかしら?
また床柱は、贅沢の極み、四方柾。

旧安田楠雄邸庭園


上野から千駄木を目指して雨の中歩きます。
ふと見つけた路地。なにやら魅力を感じて引き寄せられました。

日本家屋を利用したショップやイベントスペースでした。

ビアホールは外国からのお客様でいっぱいでした。

上野桜木あたり

さらに進むと観智院と言うお寺の前にまたまた日本家屋をリノベーションしたお店。
どうやら自転車さん&カフェみたいでした。

東京バイク

紫陽花みっけ!

で、やっぱり谷中といったら、いせ辰さんですよね。

いせ辰とゴッホ


北側の化粧坂を上り念願の銭洗弁財天に行った後は初志貫徹、13佛霊場巡りの場所、寿福寺を目指します。
源氏山公園からのアクセスをと心みますがあまりにも険しい坂道に道に迷ったと思った先にあったのは、鎌倉入り800年を記念して1980年に建立された源頼朝像でした。

「源氏山」の名は、麓に源氏の屋敷があったからとする説が有力であるそうですが、後三年の役で八幡太郎義家が出陣する際に、山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったところから「旗立山」の別名があるそうです。

標高93mだそうですが、傾斜がきついので腰にこたえました。

行き当たりばったりの旅、太田道灌の首塚と言われる朽ちた供養塔の出会いがありました。
江戸城を築城したことで有名ですが、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い方で、伊勢原市には胴塚とされる宝篋印塔があるそうです。
こちらは、近くに孫の英勝院の尼寺英勝寺がありますが、水戸徳川家の子孫である住職が再建したものだそうです。

とにかく凄いわけですよ。これが道か?というような足元の悪いところで、道なき道みたいな傾斜面を、ここで滑ってまた肋骨でも折ったら笑うに笑えないと、ハハ笑っちゃいました。

途中、お墓を直している石屋さんがいらして聞いたので、歩みを止めずに目的地に向かいましたが、本当にこんなとこ、ハイキングコースですか?という険しさでした。

無事に到着しましたが、山を下ってきましたから逆のコースになりました。
墓所です。

こちらでも、おじ様が「不親切だなぁ〜、どこが誰の墓だかわからない」とかおっしゃられていて、私が「薄くなっていますけどどうやらここが北条政子のお墓らしいですね」などと、申しますと、初めて奥まで入ってきたけどなんておっしゃるんで「この時期は人が少なくて、爽やかでいいですね〜」なんて私。
「でもやっぱり紫陽花の時の長谷はいいよね〜、あそこは何度行っても良い」「そうですね〜、あそこからの眺めは良いですよね〜」なんて、会話が弾みました。鎌倉好き、ここにもいらっしゃいました。

しかし、俳人高浜虚子、作家大佛次郎などの有名人の墓があったことは後で知り、残念無念。

佛殿を拝観することはできませんので、手入れのいいお庭を柵越しにパチリ。

鐘楼。

普賢菩薩像が鎌倉十三仏の一つに数えられているそうです。

桂敷きという技法で作られた石畳の参道。

源頼朝が落馬して没した翌年の1200年、妻の北条政子が栄西を開山に招いて創建した由緒あるお寺だそうです。


はぁ〜、やっと到着です。
ここまでの道のりは今だかつてない険しい登り下りの道でした。
タクシーで来られる着物姿のお若い方もいらっしゃいましたが、皆さんどうやってアクセスなさっているのでしょう?

銭洗弁財天宇賀福神社は、お金を洗うと何倍にも増えて戻ってくるといわれる霊水「銭洗水」が湧く神社。
銭洗水は境内の洞窟(奥宮)で湧き、ご利益にあずかろうと多くの参拝客が訪れるのだそうです。

これまた鎌倉らしい景色ですね。
トンネルをくぐるのはやはり浄めの行為なのでしょうか?

有名な場所なので、そのこじんまりさにびっくりしました。でも平日なのに賑わっていましたね。

ですがこの奥宮は他の弁財天と異なった景色と水が潤う場所という印象で、スピリチュアルでした。

宇賀神と弁財天が祀られている洞窟。
ここで湧き出る霊水は「銭洗水」と呼ばれる鎌倉五名水のひとつで、この水でお金を清めると、心の不浄も清められ金運上昇のご利益があるとされているそうです。

化粧坂ですれ違った方に「小銭にしようかお札にしようか迷っています」
と、言いましたがお札にしました。
そのお二方と帰りがけにまたお目にかかり、どっち?と聞かれて「お札にしました」と言いました。
また出逢えたのもご縁。一期一会ですね。

また、洗ったお金はすぐに使うほどご利益が大きいといわれているそうなので、スーパーで買い物に使いましたが、湿っていたので、レジに入っていかず、ご面倒をかけてしまいました。(´-ω-`)


気儘な思いつきの旅です。出会いがひとつの旅の楽しさにもなります。海蔵寺での人との出会いもそうですが、道端で見つけた花も一期一会の出会いになります。

北鎌倉が大好きなのですが、険しいと聞き二の足を踏んでいて訪れたことがない場所のひとつに銭洗弁財天がありました。

海蔵寺から寿福寺に戻ろうとすると、行先案内に銭洗弁財天の文字がありました。

ここで迷うのは限られた時間だから目指した場所を優先するか?二度とないこの出会いを優先するか?です。
今日は後者を選びました。

そこで、目の前に現れたのが、この化粧坂(けわいざか)です。

化粧坂切通し(国史跡)は、鎌倉七切通しの一つで、武蔵方面から葛原が岡を通って鎌倉へ入る切通しで、
この切通しは、武蔵方面へ通じる主要な出入り口として、鎌倉の防御上重要な意味をもったのだそうです。

名の由来は、平家の武将の首を化粧して首実検したからと言われ、鎌倉後期には栄え、人々の往来で賑わっていたようですが、

その険しさにさすがの私も、同じように足元を確認するように坂を上がって行く方に「いつまで続くんでしょうね」と弱音を吐きました。

北鎌倉から銭洗弁財天の行き方がどんな道なのかわかりませんが、源氏山の中の高所にあり、そこまでのアクセスはなかなか厳しいものだと想像しました。

寺巡りは、やはり足腰が丈夫でないとできません。私、今、頑張らなくっちゃ!


十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、また追善を行ったという善行の功徳により自分が死んだ後に、十三王の審判から救済され後生は善處に生じると信じられているそうです。十三佛霊場のひとつ、海蔵寺に到着しました。

階段を上がって門をくぐる風情にまず、いいな、と思います。脇には女坂。
十三佛霊場

7番札所になるそうです。
本当なら順番にお詣りするのがいいのでしょうね。

本堂。

書院裏の庭園。鎌倉らしい背景です。

書院。

水の寺と言われているお寺で、やぐらの中にこのようなシダが生息しているのは潤っている証拠だと教えてくださるおじさまからお声をかけられました。

(鎌倉にはあちこちにやぐらというものがあり、漢字で書くと「矢倉」や「櫓」と書きます。このやぐらの本来の意味としては、一般的に堆積岩の一種である凝灰岩の山腹に、穴を掘って造られているお墓を指します。)

ユキノシタの存在もその方から教えていただきました。耳をすますと、水の音が聞こえます。

先ほどの書院入口。

書院玄関。
こちらも非公開

佛殿の薬師如来像について、おじさまから色々教えていただきました。

薬師堂は1776年(安永5)に浄智寺から移したもので、中央には、本尊の薬師如来坐像と、両脇に向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩像が祀られています。

本尊は、啼薬師とも呼ばれていますが、胸のところに扉がついており、その中には、境内で見つかった仏様の頭部が納められています。
60年に一度のご開帳だそうですが、先ほどのおじさまが記事になった写真を持っていらして、拝見することができました。
それはとても神秘的でした。

海蔵寺


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