永青文庫からこの『胸突坂』を下って、神田川沿いに戻ります。
永青文庫へは、目白通りからか江戸川橋からこの坂を上がって行く方法で行くことになりますが、この坂を肥後細川庭園へ行く前に見上げた時は、その名が示すように自分の胸をつくようにしなければ上れない感じがしました。
肥後細川庭園からアクセスした行き方は大正解でした。

こちらが【芭蕉庵】
神田川沿いの門は閉まっていたので、今日は入庵できずかと思っていました。

関口芭蕉庵(せきぐちばしょうあん)は、かつて松尾芭蕉が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた住居跡が元になっているそうです。

敷地内は芭蕉堂や庭園、池などからなっています。

バショウ。英名をジャパニーズ・バナナと言うそうですが、沖縄名産の高級織物、芭蕉布の材料です。

なかなかワイルディーなお庭でした。

芭蕉庵にある建物は第二次世界大戦による戦災などで幾度となく焼失し、現在のは戦後に復元されたもので、現在では講談社・光文社・キングレコードらが中心となって設立された「関口芭蕉庵保存会」によって維持管理されており、池や庭園などもかつての風情を留めた造りとなっているそうです。(Wikipediaより)

建物内にいらっしゃる管理人の方から、このあたりが椿がよく咲く場所だったことや、古地図を見ながら広大な土地が細川家のものだったこと、また日本最古の神田上水のお話を伺いました。


目的地、【肥後細川庭園】に到着しました。以前は、「新江戸川公園」だったのですが、2017年3月18日の改修工事に伴い公募の中から改称されたそうです。

まず入園して思ったことは、
「これが無料?!」でした。

歩みを進めるごとに、手入れの行き届いた公園に感動します。

細川家下屋敷の庭園の跡地をそのまま公園にした池泉回遊式庭園です。

花嫁さん、発見!

正門の方にも、カメラマン待ち?のカップルがいらっしゃいました。制約があまりなく撮影が可能なのかもです。

トップの写真は神田川沿いにある南門でこちらが目白側にある正門です。

由緒正しき細川家の家紋。

正門側から望む景色です。
大泉水を中心に起伏に富んだ素晴らしい眺めです。夏でこの美しさですから、秋は素敵でしょうねー。

松聲閣(しょうせいかく)と呼ばれる、元細川家の学問所だった建物です。
大正時代の建造物で、歴史性を活かした整備工事等を行い、平成28年1月16日にリニューアルオープンしたそうです。

入り口のおもてなし。こちらだけかと思いましたら、後で寄る椿山荘にもサービスがありました。
目白台と呼ばれるあたりの夏の熱中症対策のようでした。素晴らしい!

松聲閣2階。一階は集会場で多目的にお借りできるお部屋が幾つかあり、ちょうどお着物姿で煎茶道のお稽古か何かで利用する方に遭遇いたしました。

2階から望む景色。

松聲閣を大泉水から見た景色。

松聲閣に面したあたりをうろうろしていると、水琴窟を発見!
すると近くで植木の手入れをなさっていた方がお声をかけてくださって、聴き方を教えてくれました。
あっても枯れていてなかなか聴けないことが多いので、綺麗で涼やかな音を聴くことができてプチ納涼感を味わいました。

こちらのスタッフはすべての方が感じが良かったですね。
こちらを愛していらして、色々なところを見て発見して利用して、というような思いが伝わりました。それが相まって、こちらの庭園はとてもいい印象です。

回遊式なので色々な角度からお庭を眺めようと、石段を上がって行きます。

小高いところから眺める景色はまた違うものです。

この庭園を維持されながら東京都に譲渡される前までこの場所にお住まいだった細川家も凄すぎます。

さて、次なる目的地は細川家の財宝が拝見できる永青文庫へ。こちら肥後細川庭園の散策路から通じています。

肥後細川庭園


江戸川橋へは以前、犬を連れて散歩に来たことがあるのですが、高架下、神田川沿い、こんなに綺麗ではありませんでした。

このあたりの史跡の案内板の裏側はトイレですが、これも2020年に向けての整備でしょうか?以前のような公共の施設とは思えない景観です。
近ごろの公衆トイレは、『清く美しく』なっています。

このあたりすべてが江戸川公園です。

目指すは、肥後細川庭園なのですが、なかなか辿り着きません。

途中に、水神社がありました。

社殿、お詣りさせていただきました。

この神木はかなりの貫禄。パワーを感じました。
水神社の創建年代等は不詳だそうですが、年代物な印象です。
神田上水が開かれて以来、関口水門の守護神として祀られてきたといいます。
上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれているそうです。


ちょっと時間があった時、私はお買い物とか読書でなく、東京ぷらぷらなんですね。
今日は先日友人と予定していたけれど、暑さで断念した鳩山会館に行きました。

東京都文京区音羽にあることから音羽御殿(おとわごてん)と呼ばれた、内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の邸宅を記念館として一般に公開したものです。

関東大震災直後の1924年、鳩山一郎の私邸として建設されたもので、一郎の友人で、歌舞伎座、明治生命館などの設計で知られる建築家、岡田信一郎の設計によるものだそうです。

戦後政治史の舞台の一つに数えられているそうですが、まずはリビングルームに座らせていただいて、鳩山家HISTORYをDVDで、拝見します。

鳩山家は、4代続く政治家ファミリーだそうですが、よくわからないのでこちらの記事を参考にさせていただきました。

続き部屋の別のリビングルーム。

眺めの良いサンルーム。
こちらから手入れの行き届いたお庭に出ます。

鯉はお金持ちの象徴の時期がありましたが、今は海外で人気だそうです。

お庭には、ブロンズ像が何体もありますが、こちらは、鳩山家のハト。

こちら、玄関のステンドグラスも鳩。

入り口門扉の鳥は雁で『しりあわせ三つ雁金』という家紋だそうです。

鳩山会館は「薔薇とステンドグラス」で知られていますが、階段のこの三重の塔は景色としてとても面白いと思いました。日本のステンドグラス作家の草分け的存在、小川三知氏の作品だそうです。

2階はこの広間の他は展示室で、勲章やらそれを賜る際の当時の天皇からの賞状やら大礼服など、一郎氏、共立女子大学の土台を創られた奥様、威一郎氏の記念のお部屋になっています。

鳩山会館、結婚式のご利用が可能だそうです。

そういえば、イギリス風の建物、お庭で貸し出している三井倶楽部に似ていますな。
薔薇の咲く、6月、10月が良さそうです。

鳩山会館
注:8月は休館です。


うんと前、茶室を本気で探したことがありました。
何を思ったか?抹茶をいただける場所は都内にどんなところにあってどんな様子なのか?
その時から紹介されていたのが今日の目的地【山本亭】でした。

近頃、日本への外国からのお客様が増加しているためか?外国人に人気の場所やものを取り上げた番組が多いですが、何日か前にここ山本亭のお庭がランキングされていました。

270坪の典型的な書院庭園は、米国の日本庭園専門誌「Sukiya Living〜ランキング調査(2016年)で、第3位に評価され、全国900カ所以上の旧所名跡、旅館、旧別荘が対象となっているこの調査において、順位が公表された2003年以降、山本亭は常に7位以内にランクインしているそうです。

お茶室がお借りできるので、受付であれこれお聞きして、亭内にいざ入室。
和室では、提供している甘味を召し上がっている方がたくさんいらっしゃいました。
残念、お茶室は撮影が入っていて見学はできませんでした。

地元の名士山本氏より葛飾区が買い取り運営しているということなので、とても庶民的な亭内だという印象ですが、

洋室、

玄関などは、和洋折衷の建築が特徴の建造物であることがうかがえます。

外国人を魅了するという庭園。季節折々表情を変えるのでしょうね。
お屋敷を出て、書院作りの和室からではない裏側のお庭を拝見することができます。

蓮池などあり、よく手入れもされています。

こちらが、長屋門。両側に袖部屋があり、ステンドグラスが施されるなど、やはり和洋折衷が見られました。

最後に外からちょっぴりお茶室を拝見!

待合。

にじり口。

山本亭


今日は出だしが遅くなり、治療に行ける時間が過ぎてしまったので、また思いつきで東京散歩をすることにしました。
体温越えの暑さを観測するかもと言われていましたが、気持ちのある時に出掛けるが吉!いつもそう思ってたくさんの発見があります。
用事を終えた時間は12時半、15時頃には現地を出る目標を立てて、柴又に向かいました。
時間はかかりましたが、経堂からは金町まで、乗り換えなしで行くことができること、はじめて知りました。

京成に乗り換えて1つ目、柴又に到着です。
前に一度来ているらしいのですが、まったく記憶がありません。

やっぱりこの街と言えば「寅さん」ですよね。
左足をさするとご利益があるということです。

見知らぬ街は不安なものですが、さすがに名の知られた場所なので、すぐに参道でした。

うなぎ屋さんが軒を連ねます。

門前町のこの風情は魅力的ですね。

「寅さん」が産湯に使った帝釈天、駅からわずかな時間で到着です。

境内、とても立派でした。

鐘楼も見事です。

今日の目的地は別のところにあったので、下調べもせずでしたが、靴を脱いで参拝しますと、彫刻ギャラリーと庭園が拝観できることがわかりました。

本殿右、この奥が庭園。
まずは、拝観料をお支払いするのがギャラリー側だったので拝見することに。

いやー、スルーしなくて良かったですー。
帝釈堂内殿の外部が東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われていて、それを平成3年にガラスの囲いをつけて、保存、公開をしているそうですが、素晴らしかったです。

この作品は、最初に羽目板の彫刻をした加藤寅之助の作品。

法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したものだそうですが、とても1枚の板を彫って作ったとは思えないような立体感で、驚きましたー。

このような彫刻が10、あるわけです。

うまい具合に保存されたなぁーと、へんな感心もしてしまいました。

そして今度は邃渓園を拝見します。

まずはこのような廊下、右手に部屋、

左手が庭園です。

よく手入れされ、美しいので、ど感動でした。

大客殿前に広がる池泉式庭園ということですが、

屋根付きの廊下から見ることができるスタイルです。

庭園への立ち入りは禁止されているそうですが、雨の時はまた美しいのだと想像します。

昭和4年(1929年)、大客殿の竣工に合わせ作庭を始め、少しずつ手を加えながら、昭和40年(1965年)にほぼ現在の形になったといいます。
東京都内に所在する寺院の多くは関東大震災や第二次世界大戦により被災して移転し、付属する寺院庭園においても、その際に改変されたものが多いのですが、そうした中で邃渓園は、戦前から作庭を開始し大規模改変のない庭園として、芸術的・学術的価値があり、貴重であると高い評価を受けているそうです。
2016年3月11日に「東京都指定名勝庭園」に指定されています。

作庭は向島の高名な造園師である永井楽山翁。

佇まいに惹かれて、手を浄めさせていただきました。『御神水』これが、寅さんの産湯?ということでしょうか?


ここ、どこだ?

山本亭へ行った時、入り口付近に左へ行くと『矢切の渡し』とご案内がありました。
山本亭の裏手は土手でした。
なんだか想像していない光景でした。
絶対またはないから、行ってみることにしました。

花火の準備もされていた江戸川の土手です。
歌にもなってヒットしたので、もっと演歌な感じと思い込んでいました。

今はこんな様子。茶色いところ、ヘリポートでしょうか?

江戸時代初期から続く、柴又と対岸の千葉県を結ぶ渡し船。都内に唯一残る貴重な渡し場。
片道200円だそうです。


後楽園へは行っても、【小石川後楽園】へは、さて、出かけるか!ということがなくて過ごしていました。
こういう庭園は、外国からのお客様が、訪れていることが多いのかもしれませんね。

帯広から来た友人と待ち合わせして、ボランティアガイドさんの説明を受けながら庭園巡りとしゃれこみました。

水道橋の駅から徒歩7〜8分でしょうか?
すこし早めに到着したので、並びにあった中国友好会館の美術館を覗くことができました。

この奥が庭園のようなので、受付でガイドツアーのことを確認して、もうせんの椅子に腰掛けて虫除けを塗りながら友人を待ちます。

目の前の大きな池よりも宇宙船のようなドームが異彩を放ち、都会のど真ん中を実感します。

小石川後楽園は江戸時代を代表する回遊式築山泉水庭園で、徳川御三家の一つ水戸藩の初代藩主・徳川頼房によって築かれ、2代藩主・光圀(水戸黄門)の代に完成したそうですが、この変化はびっくりでしょうね。

ドラマ「水戸黄門」では、徳川光圀が江戸に立ち寄った際に、撮影セットですが滞在するシーンが多くあるそうです。

残念ながら花らしいものは睡蓮くらいだと言われましたが、このオカメザサは、刈り込みの成果があって、青々としていました。

京都の清水寺周辺を中国の名勝地”廬山(ろざん)”にちなみ”小廬山”と呼ばれているそうですが、ここからしばらく京都の景観が楽しめるので、この築山を”小廬山”と呼んでいるそうです。

涵徳亭(かんとくてい)は夏期は休亭中。
今利用することはできません。

"大堰川"
園内随所には日本各地や中国の名所が巧みに取り入れられ、変化に富んだ庭園だということですが、まずは京都の風景が見られました。

ここが大名庭園で造られる走りになったという""西湖の堤"。
青鷺が来ていました。後ろに見えるのはシビックセンターでしょうか?

関東大震災の時に消失して名残だけになりますが、清水観音堂があったそうです。
緑深く、築山を感じる小高い場所でした。

京都東山"東福寺"の"通天橋"を模写したといいます。
紅葉の陰が美しかったです!

一旦下りて大堰川の飛び石を渡ります。

大堰川から見る朱塗りの通天橋。

飛び石から土橋の"渡月橋"が見えました。

"音羽の滝"
水流が震災後決壊し、枠組みだけが残ります。

"得仁堂"
二代光圀が建てた、孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことにより名前がついたお堂。
18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置してあるそうですが、特別に鑑賞できる日があるようです。

"円月橋"
光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。

水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられたそうです。

京都の愛宕山を、なぞられて造られた男坂、女坂。

庭園の中に稲田があるのは、後楽園だけというめずらしい景色です。
これは農民の苦労 を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃だそうです。

現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしているそうです。

”九八屋(くはちや)”
「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする教訓により名付けられたそうです。

格子に特徴があり、江戸時代の風流な酒亭の様子を現しています。

松原から望む”蓬莱島”

信州の木曽路を見立てた周辺。

”寝覚めの滝”
この辺りの風景と滝の音を感じながら出掛けたといいます。

”大泉水”からみる”蓬莱島 
国の特別史跡及び特別名勝に指定されている庭園、日本人ならここを訪れて庭園文化を知らないと、ですね。

小石川後楽園


かねてより行ってみたいと思っていた池尻にあるIIDものづくり学校へ行ってきました。

世田谷公園は近いですし、この近くに住んでいたり、病院へ通ったりと地理感はあったのですが、いつも犬と一緒だったりのあたりをうろうろなので、訪問は叶うはずもなく、長い間を過ごしてしまいました。

IID 世田谷ものづくり学校は、廃校となった旧池尻中学校舎を世田谷区から借り受け、再生した複合施設です。

こちらが受付で、学校だったを想像させる椅子やテーブルが置いてあり、教室をオフィスにした方々の情報が知ることができます。

この札をいただいて見学ができます。

一階は入室可能なスペースが多く、

ミンネの作品コーナー、

スノードーム美術館などがありました。

2.3階はクリエイティブな会社が多くあり、皆さん、廊下もとっても工夫して使っていらっしゃいました。

映画制作会社や

"なかむら"という飲食店のプロデュースしている会社もあったりして、それぞれの会社案内もこんな形で紹介されていました。

学校だった名残はこんな形でも残っていました。

数々の撮影で利用されているといいます。

古い中学校でしたからトイレをお借りするときに勇気がいりましたが、

ものすごいリニューアルが施されていて、とても綺麗でした。

入口も出口とは別の工夫がありましたが、この巨大なピクトグラムは、

さすがにクリエーターの集まるところという印象でした。

懐かしかったなぁー、この水道。

楽しいワークショップも常に開催されているようです。
IID ものづくり学校


今日の目的地です。
こんなところがあることを知ったのは新聞で、こちらの写真コンテストの記事を見つけたところからです。
しかも、開園は水曜土曜日のみ。
と、いうことでしたので、病院の後に向かうことにしました。
今日も脳に楽しいを送りこみます。

入口ではボランティアの方が働いていらして、まずは靴を脱ぎますと布袋を渡され、貴重品以外の荷物をあずけます。
ほとんどが当時のままという貴重な建物ですから、保護のため仕方がありません。

こちらはナショナルトラストの活動の運営に寄って保存されているというお話でしたが、以前、成城学園前の猪股邸を訪ねた時もそうであると伺いました。

その活動が実り、こちらは来年耐震工事が行われるそうです。大切な文化遺産、もしもの備えは早いに超したことはないですね。

ボランティアガイドさんの説明を受けながら、大変楽しく観賞できました。

まずは応接間から。

大正8年(1919年)に「豊島園」の創設者である実業家・藤田好三郎氏によってつくられた近代和風のお屋敷で、大正12年(1923年)には、旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の娘婿である善四郎氏が買い取り、以来安田家の人々が住み続けた。平成10年(1998年)、東京都の名勝に指定。

素晴らしいのは、そのほとんどが当時のままあることです。

唯一の洋室には

サンルームがありました。

胡桃の木で作られた家具や柱。

2段のテーブルは上には飲み物、下には本や書類が置けるようなデザインになった特注品です。

サイドテーブル?実はてあぶりでした。

「残月の間」
織部床には、季節ごとの設えが飾られることがあるそうです。先日までは端午の節句の設えがあったとか…。

棟札。この大きさで、どのくらいのスケールの家なのかがわかります。
ゼネコン大手の清水組の名があったそうです。

灯りも素晴らしい細工がされていました。

生活の場であった和室。

猫間障子というものらしいです。

お炭が使える水屋。茶室ではなく、このように使っていたのですね。

雨の日は悪くないですね。水を含んだ緑は本当に瑞々しい。

どくだみさえも飾られる場所が素敵だと雰囲気がありますね。

こちらを寄付された奥さまが住まれる場所を確保するために奥の場所は売却されたそうです。

庭の一部には防空壕があるそうです。

こちらのお台所が素晴らしかったですね。昔の台所は北側といいますが、こちらは採光がとれる天窓があり、おふきんも洗い物も日光消毒できるような工夫かと思いました。

水屋たんすと冷蔵庫。

お台所の一角。向こう側がお風呂場。

脱衣場。

お風呂場。

二階客間へ。

おさ欄間というらしいです。
竹の節で寺や屋敷に多く、結界の意味も持つそうです。

出書院とか言ったかしら?
また床柱は、贅沢の極み、四方柾。

旧安田楠雄邸庭園


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