写真は、今年47年目になる我が家のお雛様です。
私には、兄がおりますが、裕福でなかったことと、住宅事情もあったのでしょう。
初めての女の赤ちゃんだったのですが、ガラスケース入りの、このコンパクトな木目込のお雛様で、初節句をお祝いしてもらいました。
その頃の主流は、確か、7段飾りだとかの豪華なものが多かったように思います。
以来、結婚してから、このお雛様は我が家にやってきました。
そして、毎年、この時期に飾り、目に触れるのを楽しみにしています。

つい最近、デパートでの楽しみ、その2
”季節の歳時を体感できる”を、日本橋高島屋で、味わってきました。
日本橋の駅のディスプレイもそうでしたが、催事場では、たくさんのひな人形と出会えました。

余談ですが、5年ほど、いえ、それより前でしょうか?『リヤドロ』が陶器のひな人形を製作し、これはいいわ!と思っておりましたら、
今年は『マイセン』が、きらびやかなお色の衣装を身に着けたひな人形を作りました。とっても、素敵です!

『桃の節句』は、奈良時代に中国から伝わった、「3月3日に身の汚れを人形に写して、川に流す」という禊(みそぎ)厄払いの行事が、の儀式に由来していると伝えられているそうです。
その後、平安時代に、宮廷の夫人や子供たちの間で行われていた『ひいな遊び』という人形遊びへと移り変わり、江戸時代には、幕府が五節句を式日として定めたそうです。
その一つの上巳の節句が3月3日になります。
明治6年に廃止されましたが、民間の行事として、現代へと受け継がれていったようです。

ちなみに五節句とは
 ●人日(じんじつ) → 一月七日「七草がゆ」
 ●上巳(じょうし)  → 三月三日「桃の節句」
 ●端午(たんご)  → 五月五日「端午の節句」
 ●七夕(たなばた)→ 七月七日「七夕祭り」
 ●重陽(ちょうよう)→ 九月九日「菊の節句」になります。
重陽の節句は、今まで良く知りませんでしたが、最近、頻繁に目にするようになりました。
茶道の世界では、その時期、茶事が行われています。

高島屋でもそうでしたが、最近は、親王飾りが主流なようです。
おひな様は、初節句に、お嫁さんの実家から送るのが一般的なようですが、ある地方では、結婚して初めての雛祭りにおひな様を送る風習があるそうです。

また、地方で異なることの中に、お内裏さまとお雛さまの並びがあります。
古来は、向かって右に男雛、向かって左に女雛という配置が一般的だったそうです。
ところが、昭和天皇の即位の大礼が催された時、西洋式に天皇が向かって左、皇后が右に立たれたことや、かつて掲げられていた天皇皇后両陛下のお写真も、西洋式に昭和天皇が向かって左側だったことから、東京の雛人形業界では並べ方をそれまでとは反対にしたそうです。

京都の人々は伝統を重んじ、今まで通りとしているそうです。

日本橋高島屋では、販売されている全てのお雛様は、東京式、向かって右に男雛、向かって左に女雛という配置でした。
ところが、お茶でも有名な福岡八女の人形会館からやってきていた、徳川十一代将軍、家斉の娘の雛人形は、この並びが、逆でした。古式に基づいて飾られているということだったのでしょうか?

この家斉の娘、末姫のお雛様は、雛道具が豪華でした。
幕末の時期の倹約令が出た時期だったので、全体に小振りで金銀の制約もあったといいますが、茶道具、香道具、文房具、碁、琴など100種にも及ぶ雛道具は、きまりものがあるということでしたが、当時としては珍しい、望遠鏡、木琴、などのミニチュアや、銀の板で作った百人一首もあったといいます。

このお雛様は、三島由紀夫の小説『宴のあと』のモデルになったという高級料亭の持ち物だったということでした。
興味のある方は、2月中に行けば、お目にかかれるかもです。

こちらの販売はいつまでかわかりませんが、
飾りつけは、節分が終って、立春(二月四日)頃から遅くとも一週間ぐらい前までが一般的なようです。

私は大好きなお雛様、一ヶ月はあっと言う間なので、鏡開きが終わった頃に出して、ささやかな華やぎを感じています。
ケースに入っていることも効を奏しているのでしょう。
冠の飾りの部分が、緑青してだめになっていまったところもありますが、汚れも、生地の色やけも少ないように感じます。

ご存知のように、お雛様は、節句が終ったらすぐにしまわなければ、婚期が遅れるという風に言われています。
ウチの父は、そのために、母がなかなかしまわないと、そういって自ら片付けていました。
そばで見ていましたから、お蔭様でどんなふうにしてしまうのがいいか、子供の頃に覚えることができました。

雛人形には、生まれた子どもが、健やかで優しい女性に育つようにとの親の願いが込められていて、雛人形をその子の形代(かたしろ)と考えて、どうぞ災(わざわ)いがふりかかりませんように、また、美しく成長して、人生の幸福をえられますようにという、あたたかい思いをこめて飾るものですから、早くしまわなければ縁起が悪いと考えられていたとも言われています。
できれば、翌日の4日の日がお天気なら、しまってあげたいものですね。

そんな災いを引き受けてくれる厄除けを健康祈願のひな祭りですから、省略せず、きちんとお祝いをしてあげると、良いような気がいたします。

笏(しゃく)を持ったお殿様と桧扇を持ったお姫様の親王飾りであっても、必ずこれはセットされている桜橘ですが、これは、京都御所にある『左近の桜』『右近の橘』を模しているとされています。
飾る場合は、お雛様から見た位置になるので、向って右が桜。向って左が、橘になります。
これは、関東でも関西でも違いはないようです。

ひな祭りにかかせない菱餅ですが、古代中国から伝わり、春の七草を入れた団子を食べる習慣から、邪気を払う魔よけの力を持つヨモギ入りと白い餅の二色も餅が始まりだったようです。
後に、下から「新緑」をあらわす緑、純白の「雪」を表す白、「桃の花」を表すピンクという形が定着したようです。
春になる季節の情緒を表した、風雅なお菓子とも言えますね。

大人ばかりの我が家のひな祭りは、はまぐりの潮汁や、ちらし寿司といった桃の節句の食卓になりますが、小さいお子さんがいらっしゃる家では、ぜひ、ひなあられや桜餅などでお祝いしていただきたいと思います。

以前、我が家で、ひな祭りのプチ茶会をしたことがあります。
アルバムはこちらから。




1月18日の日曜日、【羽根木公園】に、梅の咲き具合を見に行ってきました。
東京では、学問の神様、菅原道真公をおまつりする【湯島天神】も有名ですが、こちら羽根木公園では、2月7日(土)から開催される「せたがや梅まつり」は、今年で32回目になります。
売店では、梅にちなんだ食べ物などを販売したり、茶室(星辰堂)では、お抹茶がふるまわれます。

羽根木公園には、現在670本の梅の木があって、1月19日(月)までに開花した梅の本数は103本(白梅59本、紅梅44本)だそうです。
開花状況は区のホームページで、公開していますが、一輪ひらいた時を開花として集計しているようなので、この数字でのお花見判断は、適当ではない感じがいたします。

私が撮影した上の写真は、『八重野梅』 という品種です。
”やえやばい”と読むんだそうです。
同じく早咲きの紅梅、『緋の司』 も咲いていましたが、こちらも、ちらほらと咲き始めているという感じでした。

『四君子(しくんし)』とは、蘭、竹、菊、梅の四種を、草木の中の君子として称えた言葉ですが、梅は四季の冬を表現する題材で、水墨画によく使われています。
日本では、『松竹梅』。
吉祥の象徴になったのは、江戸時代からのようですが、おめでたいものとして祝い事の景物などに使われますね。

とりあわせの良いもののたとえに、「梅に鶯(うぐいす)」 というのがありますが、それにはまったく、根拠がないらしく、「鶯宿梅(おうしゅくばい)」と言う故事に由来するものだそうです。
鶯は「春告鳥」梅は「春告草」として、取り合わせとして良いとされるのには、納得してしまうのですが、鶯は、藪や茂みの中が好きで、虫を好んで食すので、花の蜜をつつきに梅の枝にとまることはあまり無いそうです。

ところがです。
本日、世田谷区、経堂で、犬の散歩中、住宅街の梅の木に、忙しなく花をつついているようにしている鶯を発見してしまいました。
写真下のシルエットがそうなのですが、うっすら緑がかった褐色の鳥!
絶対にウグイスでした。

写真の梅は一重野梅でしょうか?
梅の種類も、たくさんありますが、『春日野』 とか『古今集」 なんていうのもあって、なんとも雅です。

「万葉集」の頃は白梅が、平安時代になると紅梅がもてはやされたということですが、その頃は、桜のほうに関心が移っていったといいます。

桜と異なり、咲き方も散り方もゆっくりな梅ですが、別名 を「好文木」(こうぶんぼく)、「木の花」(このはな)、「春告草」(はるつげぐさ)、「風待草」(かぜまちぐさ)と云います。
昨年、お茶のお稽古で虎屋さんの『木花文庫』という、梅模様の手箱を意匠化した、四角形の薯蕷製の表面に結び紐と2輪の梅の焼印を配した、とても可愛らしいお菓子をいただきました。

「梅雨(つゆ)」の名の由来は、梅の実がなる頃に雨が多いからだそうですが、江戸時代には、各藩が非常食として梅干を作ることを奨励したため、梅林が全国で見られるようになったといいいます。
日本人と梅は、切っても切れない間柄なんですね〜。
花の香りもなんとも和な感じで、いいんですよね〜。



我が家の椿が咲きました。
茶の湯では、11月の霜月から3月弥生の季節まで床にしつらえる、とても茶室に映える茶花です。

一輪、茶の湯の世界でいう 『曽呂利(ぞろり)』 とか、鶴首の花入れに入っている姿は、それだけで絵になります。

また、写真の椿、【侘助】といいますが、茶道のワビ(侘)とスキ(好)の複合語、また千宗易の下僕の侘助にちなむという諸説があります。
花咲きが全開せず、可憐な姿がなんとも奥ゆかしい。
紅侘助という種類ですが、紅という色の喩えはどんなものでしょう。
紅をひくのベニなら、印象としては、紅絹の赤という感じがするのですが…。
どちらかといえば、薄紅色。

なんとも中途半端なピンク色。そんな風にお茶と親しむまでは思っていました。
それが、このお色。
お茶室の寂びた雰囲気に、自己主張がなく溶け込んでくるのです。

椿を茶花として、最も長く使う理由がわかるような気がします。

春を告げる花の意味を込めた椿ですが、その種類は膨大です。
(木へんに春ですものね)
椿のタイトルの分厚い本があるほどです。

かのシャネルがモチーフに使うほど、日本人だけでなく西洋でも心惹かれる魅力的な花なのでしょう。
ちなみに、『カメリア』というのは、植物学の父リンネという方が、カメルス神父を称え、東洋の花、ツバキに彼の名を冠したのだそうです。

一般に【椿】というと、日本特産の【薮椿】を指すようですが、一重や八重などいろいろ種類があり、【山茶花】や【寒椿】もつばき属(camellia)です。

【山茶花】は、椿の中国名 「山茶花」が、「山茶花(さんさか)」→「茶山花(ささんか)」→「さざんか」 というふうにに、変化したということです。

【椿】の名は、厚葉木(葉の厚い木)艶葉木(葉に光沢のある木)、強葉木(強い葉の木)が転訛したという説、冬伯(とうばく)という朝鮮名が、転化したという説、落ちた花が刀の鍔に似ているため 『鍔木』 とした説があるそうです。

【山茶花】の花は、花びらが一枚ずつ散りますが、【椿】は、花ごと落ちるので、そのさまが打ち首に似ていることから 武士に嫌われていたという話は、明治以降の俗説のようです。

映画 『椿三十郎』 では、庭に椿の木を植えてる武家屋敷が「椿屋敷」として登場し、黒沢作品のあの美しいシーンが有名ですよね。
武士には人気の花だったようで、その時代にできた品種もあるそうです。

また、『武士椿(もののふつばき)』 という椿があって、花びらが1枚1枚散ることから、”散り椿”と呼ばれているそうです。
花がまだ美しく咲いているのに、潔く散って行く姿を武士の心に例えて、そのように呼ばれるようになったということです。

開花時期は2月の中旬まで。
これから、たくさんの品種が花開きます。




冬は、花の姿が少ない季節ですが、お正月頃から咲き出す【ロウバイ】はそんな季節に嬉しいお花です。

近くの芦花公園で犬のお散歩中に、出会いました。

甘くイイ香りがします。

中国原産で、日本には17世紀頃に渡来したそうです。

名前に梅がついているのですが、ロウバイ科ロウバイ属の黄色い花を付ける落葉広葉低木だそうです。

『蝋細工』のような、梅に似た花から【蝋梅】の名になったという説が一般的ですが、臘月(ろうげつ:陰暦の12月)に、梅に似た花を咲かせるところから、とも云われているそうです。

また、唐の国から来たこともあり、唐梅とも呼ばれていて、中国名も蝋梅であったということです。

花やつぼみから蝋梅油(ろうばいゆ)が採れ、薬として使用できるそうです。

クリスマスの頃から、翌年春分の日頃までが開花時期。

普段よく見られるのは蝋梅のうちの『素心蝋梅(そしんろうばい)』という種類のようです。

特徴は、花の外側だけでなく内側も黄色いところです。

花の後にできる実は、とても愉しい形をしています。

1月27日の誕生花。
花言葉は『先導、先見』です。

蝋梅の姿を目にすると、木瓜(ボケ)や梅も咲き始めます。

また紅葉して葉の散ってしまった桜は、芽吹いています。

春は近くにいるようです。



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