先輩が開催を教えてくださっていました。
感動して「もう一度行きたい」という。
どんなものなのか?

行先の丸の内から、少し歩いて行ってみることにしました。
ポーラ美術館といえば、箱根。ですが、
Newスポットとして、銀座にお目見えしていたのですね。

三階がギャラリー。
あら、二階は、お洒落系和菓子処”HIGASHIYA”でした。

このエキシビジョン開催の中心人物:プラントハンター・西畠清順さん。
ごめんなさい。
私、まったく存じませんでした。

プラントハンターとは、
17世紀から20世紀中期にかけてヨーロッパで生まれた職業で、
世界中の珍しい植物を追い求め、旅を続ける方々だそうです。

 ”花の奇跡” を求めて、キュレートされた世界中の摩訶不思議な植物が、
今回、銀座のポーラギャラリーに展示されたというわけです。

人気の方なのですね。
土曜日ということもあってでしょうが、会場、満杯でした。

これ、科名はキョウチクトウ。
イガイガのうさぎ に私は見えました。
超貴重な一品だそうです。

植物もこうなるとオブジェですね。

和名”ライオン殺し”
ライオンが足から引き抜こうと口で咥えると、釣り針のごとく口に深く突き刺さるんだそうです。
ライオンは、口から抜くことができないまま獲物も捕獲できず餓死し、その後発芽した種は、死肉を肥料として育つという恐ろしい植物、なのだとか…。
サンゴのようですが…。

これは、個人的に、
「アルガンオイルの木って、こんななんだ」と、思ったのですが、
美容と健康に優れた効果を持つという精油のアルガンツリーは、人間がヤギなどを持ち込んだせいで、絶滅が危惧されているんだそうです。

和名”砂漠のバラ”
原爆があった長崎で翌年咲いたという、これもキョウチクトウの仲間のようです。
分布は内乱のイエメンやサウジアラビアといいます。
想像すると、やはり”砂漠のバラ”という思いがします。

不思議な状態で生る実。

写真は、あまりいい環境で撮れていないのでほんのわずかですが、
こんな素敵な冊子もいただけ、
展示は52点あります。

プラントハンターによる植物たち。
それは見せ方も斬新でしたけど、自然の力や、世界のさまざまな土地を旅したように、心に何かを運んでくれました。

ポーラ ミュージアム アネックス ウルトラ植物博覧会


今朝は、婦人病の検診が、ありました。
このところ、梅雨の長雨と夫は仕事で、週末のお出かけがないうちのワンコたちはかなり欲求不満気味で気の毒なのですが、
梅雨明け宣言間近なのでは?の夏の陽射しとなり、犬孝行も厳しそう。

せっかく外に出ましたし、病院臭を払拭したい気分もあり、
電車をあまり乗り換えせずで行ける催しものはないかと探してみました。

私の、食指を動かしたのがこちら。
サントリー美術館、乾山も見に行けていないのに、足はこちらに向きました。
三菱一号館美術館で、この手を展示するのはめずらしい…。
だいたいがデコっぽいもので、開館以来に訪れることになりました。

河鍋暁斎 (かわなべ きょうさい)1831-1889
幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じて、その正統的な修業を終え、幕末明治に「画鬼」と称され、絶大な人気を博した絵師です。

何を知ってるか?
その多くは、戯画や妖怪、そのような作品を見ているような気がします。
ですから、興味をそそられました。

この暁斎展を三菱一 号館で開催するきっかけであったのが、
この美術館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852 -1920)であるといいます。
サブタイトルにある
”幕末明治のスター絵師と弟子コンドル”

弱冠24歳で来日した日本の近代建築に多大な功績を残したコンドル氏は、
三菱、岩崎家の邸宅を多く設計しました。
鹿鳴館をはじめ現存するものは少ない中、不忍池にある旧岩崎邸、駒込にある古川庭園内洋館など、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いたという作品は、その時代を知ることのできる素晴らしいものばかりです。

奥さまは日本の方だったようですが、日本美術愛好家でもあり、
上野美術館を設計したことで、その時の賞を獲得した、のちに榮太郎総本舗が当時のお金で100圓で買ったという鴉の作品に感銘し、暁斎に弟子入りして絵を学んだそうです。

弟子として細密な作品を残しただけでなく、暁斎の作品を海外に紹介し、
また、自身も購入し、パトロンとしても支えたのだそうです。

そういう関係は全く知りませんでした。
 
この内国勧業博覧会で最高賞を受賞した「枯木寒鴉図」(明治14年 1881) 作品は、
暁斎自らが、当時としては破格の百圓という値段をつけて非難されましたが、栄太樓の主人がお買い上げになり、これをきっかけに暁斎の鴉画が大人気となったという逸話があるそうです。
当時としては破格のお値段だったわけですが、今もこの画は榮太郎総本舗が所有しているそうです。

展覧会では、三菱一号館美術館開館5周年を記念し、コンドルの業績とともに、彼の敬愛する暁斎の厳粛さからユーモアまでただよわせる型破りな画業を、様々なジャンルにわたる国内外の名品約130点が展示されています。
その中には春画もあり、紗のカーテンの奥に展示してある演出、洒落ていました。

8歳の時に生首を拾って写生しようと思って見つかってしまったというエピソードは、
夥しい数の素描、多彩な活動が、画鬼と呼ばれ、狩野派の異端児であった暁斎の豊かな才能の表れであったことを物語り、
今展覧会で存分に堪能できました。

二重橋から向かう庭園を通りすぎての入り口。
迷路のような美術館ですが、復元された各所を楽しむこともできますし、
中庭の見える廊下は、建物の外観や階下の緑が美しいスペースです。

この位置から見る外観、
いいですよね。
写生していらっしゃる方がおられました。

画鬼 暁斎 オフィシャルサイト


新宿中村屋ビル、10月29日、新装オープンしましたね。
そのリニューアルに伴いできた3階にある美術館へ行って来ました。

中村屋ゆかりの作品の展示等を行う美術館。
明治末から昭和初期にかけて、新宿中村屋には多くの芸術家が集ったそうです。
その様子は後に「中村屋サロン」と称され、日本近代美術史にその名を刻んだのだといいます。
当時、日本の芸術家はこうしたパトロンによって支えられていたのですね。

中村屋のメセナ活動のはじまりと言えるようですが、小規模の施設は、作品とじっくりと向き合うことのできる空間でもありました。
開館記念の特別展では、サロンに集った中村つねや萩原守衛(碌山)の作品が魅力的です。

中村つねの作品のモデルになった長女の俊子のアバンギャルドなエピソードも惹かれるものがありました。
その当時、たびたびモデルになった俊子はヌードになることもいとわなかったそうです。
それが問題になり女学校を退学になったり、
また、その後は、中村屋カレーが生まれたきっかけとなったインドの活動家を助け、のちに結婚したという話には、いささか驚きました。
中村屋カレーの秘密

人々が集い、気軽に芸術に触れられる場を目指すということですので今後も期待しております。

中村屋サロン美術館


オルセー美術館展が明日からはじまりますが、こちらも気になりました。
印象派はよくわからなくて、紹介されている今回の作品たちの中に特別これを見ておきたい!そういうことでもなかったのですが、
テーマに惹かれました。
【華麗なるジャポニズム展】

ゴッホの描いた作品"タンギー爺さん"の背景は、いせ辰の版画が使われていること、千駄木の店に行って知ったことでしたが、
今回海を越えてやってきたゴッホの作品には、やはり背景や配置に日本美術に大きく影響を受けたという作品がありました。
ゴッホは浮世絵に強い魅力を感じていたようで、広重の"名所江戸百景 亀戸梅屋敷"の模写を確かオランダかで見たことがありますが、
独創的な遠近法は当時、とても新しかったようです。

まったく知りませんでしたが、睡蓮で有名なクロード・モネはアトリエのある家の一室が浮世絵のギャラリーであるほどのコレクターだったのだとか…

確かに浮世絵は、構図だけでなくその色使いなど、今見ても魅力的です。
昔お茶漬けの付録としてしかしらなかった東海道五十三次や名所江戸百景は、当時の日本を知ることのできる本当に素晴らしい作品です。
美術の知識がない私は、あぁ、ここからも富士山が見えたんだとか、富岳三十六景から当時を想像したりして楽しくなります。

今回の作品の中には、日本の行事のひとつである鯉のぼりが、欧米ではこんな風に描かれたというようなものもありましたけれど、
日本の美術は、真似をしたいほど刺激的だったようです。

今でも日本の漫画の素晴らしさは、サブカルチャーのトップとして世界レベルになっていますが、展示されている北斎漫画を見て、
もちろん、北斎さまが天才なのですが、人間を観察して繊細かつ緻密に描かれたそれはまさに驚愕するほどでした。

なぜに日本のものが東に行き着いて、魅惑の対象になったか?それは航路にあったと言いますが、
万博というものが当時、大きな役割を果たしていたようです。
今はどこの国の情報もインターネットで閲覧できる時代ですが、
日本のあらゆることが海の向こうで評価されて、なんだか他人事ながら嬉しい気分になっています。

繊細な職人技だけでなく日本の伝統文化は素晴らしい。
そんなところを当時の印象派の画家や工芸家が刺激を受けて作品にしているということが今回の大きな発見です。

最大の目玉は、クロード・モネの【ラ・ジャポネーズ】ですが、本展開催にあたり約一年、修復にあたったそうです。
最初の妻カミーユがモデルですが、扇子に打ち掛けという衣裳は色彩豊かで、背景の団扇、敷物のゴザはすべてにおいて日本を意識した作品です。
印象派が得意でなくても、その作品の大きさもですが、圧巻です。

子供の頃、映画少女だった私は、アラン・ドロンが好きでした。
たくさんの映画を観ましたが、"サムライ"だったか?なんだったか?ある作品で、黒紋付きをガウンがわりに羽織うシーンがありました。
それは単に映画の衣裳としてと、思いましたが、
19世紀後半から20世紀初頭は、ジャポニズムという現象が生まれ、
着物という形をロープにした着衣を作る会社もあったのだそうです。

中には、こじつけではないかと思う作品との比較もありますが、多大な影響を受けていたというのは明らかで、なんだか日本人として気分のいい展覧会です。

ティファニー社の写真立ての松葉柄、プシュロン社のインク立ての象篏の中の富士山。
日本の素晴らしさ、再認識できました。

今回は、いつも世田谷美術館所蔵品の展示をする2階もボストン美術館展の作品の展示があるという力のこもった美術展です。
ボストン美術館オフィシャルhp


お知り合いになってから何年になるかしら?
あったかい感じの陶器も若い頃は惹かれましたが、やっぱり磁器のつめたい感じが今はしっくりします。

染付作家 岩永浩さん、
キャリアを積み重ねて、着実にステップアップされて、憧れの渋谷 黒田陶苑で今日から個展を開催されています。

店内、美術品のような扱いで、岩永浩さんの作品がたくさん展示されていました。

今回、お客様もたくさんいらしたので、入り口の展示品だけ写真撮らせていただきました。

今回は、筒型の花器、大鉢、など、美術品としても素敵なお品。
変型鉢、皿など、使ってみたい器など、多種。
絵付けも、山水画、獣紋、縞紋とバラエティー豊かです。

Parisでの個展も予定があるとかで、ますますのご活躍。

渋谷にお出かけの方、ぜひとも覗いて観てくださいませ。7月2日(火)までです。

黒田陶苑 今週の個展より
岩永浩さんのサイト


伺いました。
岩永浩展。

ご無沙汰しておりましたので、新たなお作品に触れることが出来て嬉しかったです。

懐かしい方との再会もあって長居をしてしまいました。ごめんなさい。

会期は、10月1日(火)まで、伊勢丹本館5階です。
ついでのある方、ぜひ足を運んでくださいませ。

岩永浩さんオフィシャルサイト


有田焼の作家に知り合いがいます。
座骨神経痛で困った時、整体の先生を紹介してくださり救ってくださったお方です。
そのおかげで、西洋医学のぶっとい注射から開放され、今はその苦痛の経験からメンテナンスすることを怠らずにいて人間らしく暮らしています。(感謝)

有田の星である彼ですが、
このたび、三越伊勢丹からオファーがあり、常設が決定。
今日から伊勢丹で個展。

向かっております。

今朝、彼のお名前を検索すると、私のサイトもヒットしました。
私の岩永ワールドが収められています。
岩永ワールド

また素敵な染付けに出逢えることと思います。
楽しみ♪


これは行かねば!
そう決めていました。
ゲイジュツのことは良くわかりません。
ほとんどそれは直感で、
好きか嫌いか…。
震えるか震えないか…。
はたまた涙が出るか出ないか…。
それくらいの寄り添い方でいますが、
ポップアートは好き♪なのです。

ポップアートのカテゴリーに入る定義もよく理解していません。

サイトから抜粋いたしますと、
【ポップ・アート】とは、1960年代に盛んになった大量生産・大量消費の大衆文化を主題とする一連の芸術動向を指します。
この語が最初に登場したのは、1950年半ばのイギリスにおいてであり、身の回りにある大量生産の商品やそれらに囲まれた日常生活を題材とした作品が次々に生み出されました。
イギリスで誕生したポップ・アートは、アメリカにおいて花開くこととなります。

第二次世界大戦後のアメリカは、まさに大量消費社会でした。
テレビやラジオなどマスメディアの普及によって商品や広告のイメージが氾濫し、ハンバーガーやコカ・コーラといった商品はアメリカの代名詞として世界中に広まっていきました。
アメリカのポップ・アーティストたちは、商品のイメージやオブジェ、また新聞、漫画、広告といったメディアの手法自体を取り入れることで、自らを取り巻く社会やそこでの経験をそのまま作品に表そうとしました。それは、前世代の抽象表現主義が作品を崇高で難解なものとし、作家を英雄視したのに対し、複製物や日用品を用いることで、作家性を匿名化し、芸術を卑俗な生活と結びつけるものでした。
と、いうことだそうです。

大衆文化を背景に戦後の開放された自由な発想が形になって現れ始めた時代のカタチ?
そんな風にも感じられます。
この年代、アメリカだけでなく、そういった流れがあったのでしょうか?
フランスではヌーベルバーグというスタイルの映画制作があり、それは、美しいスチール写真を見ているような今までにない感覚の映画でした。
ディオールがAラインを発表したのもこの頃でしょうか?
ファッションや映像、音楽、すべてにおいて、後世に残るカタチが大きく変化し始めた時代なのでしょうね。

ホンモノを観たのはニューヨークの近代美術館と、リキテンシュタインをスゴい金額で購入したとかで、当時話題になった木場の東京現代美術館だったと思います。
それも、何点かです。

今回は200点近くの、それもポップアートの代表的作家達の作品が一度に観れる貴重な機会でした。

一つはこの作品達の所有者、キミコ・パワーズさんが、日本人であるということが大いに関係したのでしょうか。
有りがたいことです。

しかし、今回の作品達、パワーズ夫妻のベッドルーム、バスルーム、リヴィングルームに飾られていたものだということ驚きです。

作品、大きなものばかりですから、どんだけの豪邸!?と思っていましたら、
会場で販売されていた図録に載っていました。

この作品が、洗練されたリヴィングダイニングに他の作品と一緒に無造作に飾られていました。
選ぶ目がある方は飾る目もお持ちです。

写真は、キミコさんですが、
キミコさん曰く、アンディ・ウォーホルは、モデルになる人の良いところを見抜く力があったと言います。
この作品は実に魅力的です。
新国立という箱が、見せるのにとても適していて、ウォーホルの作品が並べられた場所で、ワタシ、涙でした。

マリリン、毛沢東、この二人のアイコンを決定づけたのはこの作品があるからと思うほど。
色彩感覚だけでなく、良い素材を見いだす力が抜群なのでしょうね。

実は我が家、バブル時代に夫がニューヨークで買った、ウォーホルのリトグラフがあるんです。
ホンモノかどうか?
たとえばリトならウォーホルが認可してるかいなかでそれは随分違うそうですから、まぁ知らぬが仏ちゅーことですか…。
けれど、同じ作品を見つけた時は、まぁ嬉しかったですね。
しかし、やっぱり、騙されたかもシレナイと思うと、
気になりますね。

アメリカンポップアート展



谷文晁(たにぶんちょう)。

不勉強でよく知りません。

歴史をきちんと勉強していたら、当然の如く知っているものなのでしょうか?

江戸時代後期に活躍した絵師で、酒井抱一とは、共作が残っているくらいの親密な関係だったそうで、指導にも積極的、作品は多く、やまと絵から洋画まで。
あらゆる画法を自在に展開したそうです。





この方のお名前は、テレビ番組の"なんでもお宝鑑定団"でよく耳にするので、なにかの折に観てみたいと思っていました。



この度、サントリー美術館で催されるというので、行ってみました。



美術館は月曜日がお休みと思っておりましたが、最近、違うのですね。

仕事が早くひけたので、その合間にと、スマホで調べたどころ、知ることができました。

久しぶりにサントリー美術館のサイトにアクセスすると、スマホ対応になっていましたし、

割引のクーポンを入手するページも用意されていました。

チケット売場で画面を見せれば、100円割引です。



さて、谷文晁展。

どうだったかと言いますと、

震えるようなときめきは残念ながら感じなかったのですが、

当時、超人気だったという高級料亭"八百善"に文晁の絵がかけられた様子を広重が描いた作品は興味をひきました。

 
茶の湯の師匠のお友達、陶芸家の”松田百合子”さんの個展にお邪魔いたしました。

ユーモアたっぷりの赤絵の作品。
山の中のギャラリー【ナノリウム】
窓から見えるテラスでは、我が師匠、オープニングにお茶会をしたそうです。
水指、茶入れは、松田さんの作品。
独創的なお道具で、とても斬新ですけど、とっても素敵でした。

中田秀寿さんのサイトから
松田百合子さん


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