ご好意で、横浜×巨人の試合観戦の機会をいただきました。
久しぶりの屋外球場。
小雨も降りましたが、いやぁ〜、気持ちよかったですぅ。
やっぱり、屋外はいいですね〜。
この日、横浜も勝ちましたし…。

最近は楽しいイベントをたくさんやるものだなぁ〜と、スクリーンに映るその進行をとても楽しみました。
写真time、ダンスコンテスト、バズーカ砲、観戦に来ている人たちが参加できるようなもので、MCもよかったです。

そして、野球観戦中に食べるお弁当も楽しみの一つ。
横浜といったらやはり!崎陽軒のシュウマイ弁当です。
歌舞伎鑑賞にハマった時もよくコレにはお世話になりました。
美味しいんですよね〜。
経木の箱に入ったごはんもさることながら、シュウマイ他のおかずのバランスが絶妙なんです。
筍の煮たの…。これがごはんが足りないくらい合うんですよね。

さて、この日は、みなとみらい線『日本大通り駅』から横浜球場まで歩いて行きましたが、その途中の日本大通りは、異国情緒漂うこの雰囲気で、とても気分が良かったです。
初秋の爽やかな気候の夕暮れ時は、そのロマンチックな場所がよりいっそう素敵に感じました。
やっぱり横浜は、何か違いますね。

日本大通りは、R.H.ブラントン氏の設計により明治3年にできたそうです。
同8年に命名された日本で初めての西洋式街路だそうです。
知らずにいつも通っていました。

神奈川県庁、横浜開港資料館、横浜郵便局、旧商工奨励館、旧市外電話局、横浜地方・簡易裁判所、三井物産横浜ビル、旧関東財務局など、重要な施設の立ち並ぶ街路ですが、明治時代には、人力車や車が行き交う街のメインストリートとしての役割を果たしていたそうです。

オープンエアのカフェが、本当に外国にいるような雰囲気を醸し出していました。


この大通りの緑道のフラミンゴは何かワケがあるのかしら?



東京、代官山、旧山手通り沿いのヒルサイドテラス裏手に85年前に立てられた東京中心部に残る数少ない大正期の和風木造住宅があります。



旧朝倉家住宅は、東京府会議員だった朝倉虎治郎さんの自宅として1919年に建設され、2004年に重要文化財に指定され、2006年から渋谷区が管理していたのだそうです。
代官山はなんとなく近い存在で、ヒルサイドテラスは朝倉さんの持ち物ということは、古くからそこにすまう方に聞いていました。
ヒルサイドテラスからの眼下は、素晴らしい緑ですが、そこに邸宅があるとは、全く知りませんでした。

朝倉家は明治二年に精米業をはじめ、米穀販売や土地経営により発展してきたそうです。
とくに虎治郎氏の時代には、個人営業の白米商として東京一であったといいます。

こちらは、2008年6月8日から、一般公開されているそうですが、そのことを知ったのは、東京都の茶室を探している時のことでした。

代官山へ行った時のついでに行ってみたいなと思っていました。
ついでがあったので、行ってまいりました。



杉の木目を多用した虎治郎さんが最も好んだ広間だったという1階の「杉の間」からは敷地内の庭園が一望できます。
このほか1階には、「第1会議室」と呼ばれる32畳の洋間、執事の「事務スペース」、「女中部屋」などがあり、当時は富士山が望めたという2階にも30畳ほどの広間があります。
どこの部屋も華美さはなく、材料にこだわった品格が感じられます。

お茶室の炉は、囲炉裏大でした。
流派によるものでしょうか?
詳しくはわかりませんでした。



住居の回りはたくさんの石灯籠が置かれています。
回遊しながら庭園を観賞できる「回遊式庭園」です。



春は躑躅の咲く姿が綺麗だそうです。
秋の紅葉も見事だということです。
代官山に行かれた時のついでにお奨めいたします…。
吉田茂邸も、公開間近で、灰になってしまいました。
現存する日本の邸宅、発見があります。



【松涛園】 「きょうから公開 池上本門寺」の 今朝の新聞の記事を見て、心に刺さりました。
年に一度の一般公開だそうです。
こちら、私、初めてでした。
アクセスしにくいところなので、ご縁がありませんでした。
午前中に水天宮に行く用事があり、浅草線に乗車できることが、しばらく歩くとわかりました。
これは何か呼ばれるものがあるなと、無計画に電車に飛び乗りました。
確か、記事に最寄の駅は、池上か西馬込だったと、かすかな記憶を頼りにして…。

駅を降りると、あたりはどう見ても寺町ではありません。
改札を出たら国道でした。
駅の案内を頭に叩き込み、途中で道を尋ねながら向かいました。
途中で尋ねた方は、【松涛園】 に行かれた方でとても丁寧に教えてくださいました。けれど結構な道のりでした。
徒歩12分とありましたが、【松涛園】までは、本殿からまた歩きます。

ご存知の方、とても多かったです。
帰って義母に話すと、読売以外の新聞にもお知らせがあったようです。
大田区の広報にもきっと掲載されたのでしょう。
東京近県の車の姿もありました。

こちらの園は、京都・桂離宮や茶道で有名な小堀遠州の造園による池泉回遊式の名園で、1936年に都の旧跡に指定されているそうです。
園内は、自然の窪地に作庭されいて、朗峰会館からの入り口からは、俯瞰できるという景観がまず目に飛び込み、それは、美しいのでした。
西郷隆盛と勝海舟が江戸城開城の会見をした会見の碑があることでも有名だそうです。(「篤姫」でそんなシーンがあったかしら?)

池上本門寺は750年の歴史を持つ伝統仏教のお寺だそうです。
そして、日蓮聖人が1282年にで入滅(臨終)された霊跡なのだそうです。
日蓮聖人御入滅の後、池上宗仲公が、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼ばれているということです。
毎年10月11日・12日・13日の三日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、お逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わうということです。
この、園の一般公開の行事の後は、この大イベントがあるのですね。

さて、名園 【松涛園】 見たさでここを訪れましたが、年一度の僅か一週間の一般公開、12,13日は園内の茶室で茶席があるとありました。
なかなか、茶室を見れる機会というのもないもので、このことも魅力的でした。

園散策は、入り口から左回りに歩いて行きました。
池に浮かぶ亀島を右手に石畳を上っていきます。
松月亭では、緋毛氈に腰掛け、休憩ができるようになっています。
風鈴が揺れ風情があります。

戦災で、甚大な被害を被ったといいますが、悠然とした大木が、残暑の光に
輝いています。
一番の頂上から下っていくと園の一番奥にあるのが茶室『浄庵』です。


会見の碑、筆塚を見て、中央の池近くに下りていきます。
しつらいのある茶室『鈍庵』茶席が行なわれるという『根庵』がありました。


こちらで、週末茶席が設けられるのかと、参加できない寂しさもありましたが、清々しい雰囲気は、充分堪能いたしました。
特につくばいや露地、とても素敵でした。
お茶室は、平成2年、裏千家から寄贈されたものだそうです。

帰りは、池上から、帰ることにしました。
緑に囲まれた園内を名残惜しみながら、本殿、、社務所、仁王門、此経難持坂(シキョウナンジザカ)の階段を降り、池上の駅に向かいました。



その途中の仁王門に看板が立てかけてありました。
犬の散歩に対してのおおらかな対応です。
クリックして画像を大きくして文字を読んでみてください。
朗峰会館には、犬OKのカフェも隣接しています。


池上本門寺にある朗子会館では、たくさんの講習や学習の会が行なわれているそうです。
「水のこころ」(仏教の目指す人間像)を心として、多くの方々の参加を呼びかけているということです。
「水のようにいきいきと 水のように力強く 水のようにこだわらず 」

次回は、うちのコを連れて、訪れてみたいと思いました。

しかし、、『妙法蓮華経』、此経難持の偈文96字にちなむ此経難持坂の階段は、経文を読誦しつつ上れば自然にのぼれる、と言い伝えられているそうですが、東急池上線を使って来た方には、難儀だなぁ〜、特に高齢者には…。
と感じました。
でも、とっても充実の東京散歩。楽しかったです。
それに、入り口に置いてあった、蚊よけスプレー、とっても助かりました。



8月は夏休み。2ヶ月ぶりのお稽古です。

今日のお軸は、『不識』。しらず。と読みます。
「知識」の対極にある言葉だそうです。
『不識』と、茶道辞典で調べてみると、達磨のことを指すとあります。

このエピソードから、そういわれるようになったのかと想像しています。

禅宗の開祖である達磨大師と、仏教に帰依し自らを「仏心天子」と称する自信たっぷりの武帝が、天下の高僧・禅宗のトップ「達磨大師」に
「仏法の根本心理は?」と、煉りに煉った問答をぶつけます。
それに対して達磨大師は、
「そんなものは広々としていて、何も見当たらない」
と、答えます。
武帝はさらにこう聞きます。
「朕の前にいるあなたは一体誰なんだ」
「不識。しらず」

「達磨大師」は世に知られた禅宗のトップだなどという意識が全くありませんでした。
物事に縛られるということが全く無かった。

徹底した無心の境地が「不識(しらず)」。
軸に書かれた言葉には、このような無心を諭すものが多いようです。
いつもはただ拝見するだけで、言葉の持つ意味を知らずに帰ってきてしまいます。
知ることで、茶道に対する思いに身が引き締まります。
深いなぁ〜、茶の湯は…。

茶花。

本日は、富士山の麓から、先生が持参してくださいました。
吾亦紅(ワレモコウ)、男郎花(オトコエシ)、秋明菊(シュウメイギク)です。

吾亦紅(ワレモコウ)、の漢字表記にはこの他に我吾紅、吾木香、我毛紅などがあるそうです。
このようになったのは諸説があるらしいのですが、一説によると、「われもこうありたい」とはかない思いをこめて名づけられたといいます。

また、命名するときに、赤黒いこの花は何色だろうかとの選者の議論の時、それぞれに茶色、こげ茶、紫などと言ったといいます。
この時、どこからか「いや、私は断じて紅ですよ」と言うのが聞こえたそうです。
選者は「花が自分で言っているのだから間違いない、われも紅とする」で「我亦紅」となったという説もあるそうです。

秋の高原で咲く和歌や俳句でも有名な季語にも使われる、十五夜にもかかせないお花です。

男郎花(オトコエシ)は、女郎花(オミナエシ)と対比させてつけられた名前で,オミナエシに比べて強壮な感じがするからその名がつけられたといいます。
山野によく見られる多年草で、実に翼状の丸い小苞が付いています。
別名 「敗醤(はいしょう)」。
生けておくと、醤油の腐ったような匂いがしてくることから付いたそうですが、女郎花同様、あまりいい匂いはしないようです。

香合は瓦文香合です。

城の瓦紋は、本来、城主として君臨する家を示す家紋を軒瓦や鬼瓦に刻印したものを使用しているそうです。
しかし江戸期になると少し変化があったようです。
明治以降は、三つ巴の紋が一般的なイメージがあるように三つ巴の紋を使用する家も数多いので世間的に広がり、一般住宅の瓦にデザインとして使われたようです。

こういったことからの意匠なのかは想像でしかないのですが、日本では、巴の形に神秘性を見いだし、神紋として尊重されたということもあるのかもしれません。

鋳器に見えますが、陶器です。
紋を文とするのも、陶磁器の銘だからということでしょうか?


毎週の日課になってしまいました。
ウチのコ達も楽しみにしています。

8月のある日、現代美術館に行った際、続きにある木場公園が気になっていました。
ネットで調べてみるとドッグランもあるとのこと。
行ってみました。
ドッグラン、巨大でした。
こちらを目指して行く場合は、第一駐車場が便利です。
この日は、第二(美術館側)に駐車して、園内一周することになりました。


こちらは若い公園です。
おにぎりをほおばるには、雰囲気不足でした。
けれど、トイレなどはさずがに現代美術館の一部の公園です。
斬新なデザインでした。橋を歩くのも壮観でした。

近くには清澄公園もありましたが、有名な庭園は勿論、犬は入れませんし、公園は、町の公園の風情でした。
車を走らせました。
目的地。お台場海浜公園。


木場もそうですが、この辺は東京の端っこを感じます。
そして、東京の広いことも認識できます。

ゆりかもめ運行でこの町ができた時、人、ひと、ヒトでした。
でも、最近、豊洲やらができたこともあるのか、ヒトが分散しているようです。
人をそれほど意識することなく、そして、駐車もスムーズにできました。
そして、景色がサイコーです。

ウチのコ達も公園のはしごにご満悦。
私も久しぶりのお台場。きょろきょろです。



同居している義母のテレビが故障しました。
修理センターに電話をし、修理するとどのくらいかかるのかと聞きました。
画面に縦線が1cm幅くらいで入っている症状でした。
故障は多分、液晶だということ。
材料費込みの修理代は、2万円から6万円だということでした。
それ以外に出張費がかかります。
症状を見るだけの見積もりも可能だということ。
こちらは、約5000円。

少し前、空気清浄機が故障し、この症状を見てもらうということを依頼し、結局、修理見積もり代が購入した方が良い経験がありました。
夫とも相談し、エコポイントも付くし、買い替えを義母に勧めました。
買い替えはエコでは、ないかもしれません。
でも、今、世の中が、修理してあと何年と考えるよりも、新しく買い換えて消エネを
選ぶ時代なのかもしれません。

義母一人では、買いに行くことができません。
大型店へ一緒に連れて行く。
それも一つの案でしたが、わからないのは、私も同じ。
では、と、今、お買い物をするなら絶対お安い、ネットショッピングを覗いてみることにしました。

まず、私がしたこと。
それは、楽天で、テレビの売れ筋ランキングを覗くこと。
上位になっている商品を、今度は、各メーカーのホームページを見てどんなものか確認します。
この時点では、決めうちができませんが、人気商品は、売れている理由があり、
たくさん売れているからお安いという構図ができています。


夏休み、川でウチのコを遊ばせてから、どこかでまた水遊びをさせてあげたいと
思っていました。
東京、多摩川周辺を調べている時に、この【城南島海浜公園】を見つけました。
ノーマークでした。
初めてその名を知りました。
我が家からは小一時間かかりましたが、久しぶりに潮の香りを感じ、また、5分おき
くらいに着陸しようとする、羽田飛行場に向かう飛行機たちにわくわくしました。

ドッグランもあります。

ここを利用する場合は第二駐車場を利用するほうが近いです。
コチラ、巨大です。しかも芝生。

可愛いジャックラッセルの仔犬に会いました。

L時型のこの海浜公園、第一駐車場の方に”つばさ浜”。

遊泳禁止ですが、浜では、子供たちが水遊びしています。
わんちゃんは、リードをしていれば、入場可能です。
ウチの甘夏(ラブラドールレトリーバー)、初泳ぎしました。

久しぶりの海、楽しかったけれど、日焼けしたぁ〜!

【城南島海浜公園】 東京都大田区城南島4丁目2番2号



『ライト・スタッフ』 を観た時から、宇宙開発ものは大好きでした。
期待を込めて、行きました。
頭の中には、ゴスペラーズが唄う曲。
「あの宇宙(そら)へ〜♪」

1958年のNASA設立から50年、宇宙開発に全力を注いできた職員と、宇宙飛行士たちの挑戦と奮闘を描き、NASAの壮絶な歴史の全貌を明らかにするドキュメンタリー映画だそうです。

今までなかなか見られなかったNASAの蔵出し映像が満載ということでしたが、なんとなく、見たような気がしたのは、何故か?
『アポロ13』 で、見たのか?
打ち上げられるたびに目にした映像なのか?

NASAの総プロジェクトを克明に記録したフィルムをもとに、作られたといいますが、時の大統領、ケネディが、VSソ連にアメリカ国家の威信を掛けて取り組んだ宇宙計画。
のちに月面着陸した映像は、地上で撮影されたという疑惑は、あのケネディの時代ならあったかもしれないという想いは否めず…。
そのシーンでの、船長、ニール・アームストロングが云った
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である
(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind)」も、用意された言葉なのかなと思ってしまいました。



映画が観に行ける時が来たら、これはぜひとも観に行きたい。
そう思っていました。
【ディアドクター】、やっぱりヨカッタ!
さすがに才媛、西川美和さんの作品でした。

そういう経験がないと、心理描写はむずかしいのではないかと思うシーンがふんだんに描かれています。
お若いのに、物事の観察眼が研ぎ澄まされた方なのだと思います。
前作と同様、原案、脚本、監督をなさっています。

スクリーンに映し出される絵は、どちらかというと洗練はされていません。
お洒落な方です。美人です。
だから、あえてその絵にこだわるのは、作られたものでない世界を描くことの現われなんじゃあないかと想像します。
劇中のシーンでは、生活臭のするそれぞれの暮らしぶりがうかがえます。
作られたものではない、いつもの風景。
室内の撮り方、見せ方、巧みです。
ロケーション選びにも、かなりのこだわりがあるのでしょう。
プロローグは、主演の笑福亭鶴瓶さんが出演しているNHK「家族に乾杯」に出てきそうな山村の原風景から始まります。

白黒では解決できない、最もナイーブな病気、死、医療を問う映画です。
一人ひとりの病気への思いを受け止める偽医者は、医者と言う立場に頼るを患者たちの思いを映し出し、高度医療の歪みや、命とは何かを改めて考えてしまいました。



昨年はシャネルの生誕125年だったそうです。
ということもあって、映画が3本も製作されていて、今年は、その映画たちが立て続けに公開、舞台も何本か公演されているようです。

その一本である【ココ・シャネル】を観てきました。

かなり昔になりますが、ミニシアターなどあまりなかった時代に、新宿の歌舞伎町に今も健在ですが、”シネマスクエアとうきゅう”という小さな映画館が出来ました。
映画少女だった私はここで上映される映画は、大きな映画館ではお目にかかれないちょっといい作品を観れるのでよく足を運んでいました。

1981年、【ココ・シャネル】をここで観ました。
没後10年目に製作された作品です。

当時、勿論、シャネルの名前は知っていましたし、「獅子座の女・シャネル」 とかいうタイトルの本も読んでいましたが、恋愛や社会の経験が不足だったのでしょう。
大人の恋や、当時のキャリアウーマンの生き様を、余り理解しておらず、美しい映像とファッションの伝記物というスタンスで観たように記憶しています。

シャネルを演じるマリー・フランス・ピジェは、当時、インパクトのある風貌と演技で、人気の女優さんでした。
「真夜中の向こう側」は、今でも強く印象に残っています。

この作品は、当時人気の役者が豪華にキャスティングされていました。
最初の恋人エティエンヌ・バルザン役は、「ブレードランナー」のレプリカント役で多くの人気を集めたルトガー・ハウアー。
永遠の恋人のボーイ・カペル役に007のティモシー・ダルトン。
シャネルの宿敵、エミリエンヌ・ダランソン役は、カレン・ブラック。
生涯心の支えだったアドリエンヌ役は、「禁じられた遊び」で名子役と言われたブリジット・フォッセーでした。

今回の【ココ・シャネル】は、第二次世界大戦後、ドイツ人の恋人がいたこともあってスイスに亡命し、一線を退いていたシャネルが復帰のコレクションをおこなうところから物語が始まりました。
その、晩年のシャネルを演じるのが、シャーリー・マクレーンです。

多くの作品に出演されていますが、若いころの作品よりも、ボレロを世に知らしめた「愛と喝采の日々」あたりから、圧倒的な存在感でした。
輪廻転生に関した執筆は、ベスト・セラーになり、「アウト・オン・ア・リム」は、自ら出演もされました。
リベラリストということですが、女優としてのシャーリー・マクレーンは近づきがたい感じは受けません。
弟さんは俳優ウォーレン・ベイティですが、親日家であることは有名で、娘さんにはサチという名前をつけていらっしゃいます。
そのサチ・パーカーさんは、2008年、「西の魔女が死んだ」という日本映画に主演されています。
華麗な経歴は、尊敬に値する本当に素晴らしいものです。
そして、スクリーンに映るその姿は、貫禄そのものでした。

映画は、回想シーンで若き日を演じるバルボラ・ボブローヴァのシャネルが孤児だった時代に画面が変わります。
華麗な地位を築きあげるまでの、困窮の日々、出会った男たち。
身分違いの恋。シャネルモードが出来上がる背景。
マリリン・モンローの残した言葉で有名な 『CHANEL no5』 のできる瞬間は、一瞬のシーンで終ってしまいますが、調香師に創らせた香りの5番目を製品化し、商品名をno5としたというのも、抜群のセンスだったのだと思いました。

バルボラ・ボブローヴァはチェコスロバキア出身の女優さんだそうですが、初めてその演技に触れました。
ぶれない演技で、若き日のシャネルを確実に演じていました。

英語で語られる台詞を聞き、もし、これが仏語ならばと思った時に、演じるならば、
オドレィ・トトゥかなと想像しておりましたら、なんと!9月18日に公開になる【ココ・アヴァン・シャネル】は、彼女が主演だということを知りびっくりしました。

映画「アメリ」で一躍時の人になった彼女が着こなすCHANELモードも興味がありますが、
2010年新春公開の【シャネル&ストラヴィンスキー】は、生涯愛した人は一人というボーイの死の前後から、ストラヴィンスキーと出会い、シャネルNo.5を生み出すまでを扱っている作品だそうです。
シャネルのミューズと言われるアナ・ムグラリスのゴージャスな容姿の映像も魅力的です。

シャネルは、「シャネラー」という言葉ができたほど、今も不動の人気ですが、映画を観に来ていた方たちは、意外にも年齢が高めの方が多かったです。それは、この映画が、恋愛を軸にした伝記ドラマだからでしょうか?
けれど、今も尚人気なのは、その当時は画期的なデザインだったファッションが今も古さを感じず、それを受け継いだカール・ラガーフェルドやスーパーモデルたちの功績もあるのだろうと想像し、品格という言葉を思いました。

きっと、これからもシャネルは、エレガントさを失わず、時代に即した成長を成し遂げていくのでしょうね。
映画は、そういう意味でも、感じることの多い作品でした。



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