茶とかかわり合いのある大徳寺、夕刻だったために、前回は高桐院を訪ねるだけでタイムアウトになってしまいました。
大徳寺には、多くの塔頭寺院があるのに訪ねることが出来ずで残念でした。

ですからもう一度ゆっくり大徳寺を歩きたい。そう思っていました。
まずは大徳寺行きのバスに乗り降ります。急行だったため2区間で下車。
すっかり、ここに来るなら、そのまた奥にある【今宮神社】に行くことを忘れていました。
ですからまた歩きます。参道を標す鳥居からさらに数分。

楼門が見えてきました。
【今宮神社】です。
あまり知識なく訪れましたが、こちらは『玉の輿神社』として有名なのだそうです。女子二人が来ていました。(*^_^*)

「玉の輿」の由来になった説ですが、西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。このことが関係していると言われているそうです。

応仁の乱ののち、桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだが、今宮社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強く、御牛車や鉾を寄進したほか、祭事の整備や氏子区域の拡充、やすらい祭の復興など様々な施策を行ったという縁があるのだそうです。

今宮神社は、京都に疫病が流行したとき、それを鎮めるために船岡山に疫神社が建ったのが始まりといわれています。

神慮を慰め奉って悪疫退散を祈ったのが今宮祭の起源で、京中の老若男女は挙って神輿に供をし船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれている。(人帷子、ありました…)

これが4月第2日曜日に行われる夜須礼(やすらい祭)で、国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の三大奇祭のひとつに数えられている祭だそうです。

桜にも出逢えました。

本殿、もう玉の輿には間に合わないけれど、参拝いたします。

今宮神社境内にも、伏見稲荷大社にあった「重軽石」がありました。

疫病を退治してくれる今宮神社ですので健康回復を早めてくれるご利益もあるというので、お参りいたしました。
願をかけてこの石を撫で、その手で体の悪いところをさすれば病気が平癒するとの言い伝えがあるそうなり。

阿呆賢さん。神占石。

あぶり餅とは、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火で炙った後白味噌のタレを塗った餅菓子ですが、これを目当てだったのですが、下調べが甘かった!

門前にある二軒のお店、なんと!お休みでした。

残念。様子はコチラ↓を。
あぶり餅


一旦ホテルに戻ってチェックアウトをします。
荷物は京阪線四条駅のコインロッカーに預けて、お隣烏丸線烏丸駅から北大路駅に行き下車します。

北大路駅はどういう立ち居地なのかわかりませんが、大きなバスターミナルがあるのです。
ここからは京都の各地に行くことができるようです。

この風景は、横浜にもありますね。
バスの停留所です。
ここから大徳寺行きのバスに乗ります。

緊張していた私は、乗り口が真ん中だったのに、降りる時も真ん中から降りてしまって「お客さん、支払いしてくださーい」叱られてしまいました。
知らない土地では、違うことが多くてへまばかり…。


二条城、初めて伺いましたが、素晴らしかったです。

ある時から桜や紅葉の時期にプロジェクションマッピングのライトアップをしていることを知り、「なんと!アバンギャルドなことをしなさる」と思っていましたが、内部はまったく異なる印象でした。

 

二条城は,慶長8年(1603年),徳川将軍家康が,京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し,3代将軍家光により,伏見城の遺構を移すなどして,寛永3年(1626年)に完成したものです。

家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて,いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができます。
徳川家の栄枯盛衰のみならず,日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城です。


スマート珈琲で二回目の朝食を摂った後、東西線”市役所前”から一つ目”二条城前駅”まで地下鉄に乗ります。

地上に出るともうすぐ目の前が二条城でした。

東大手門から入場します。

続いて唐門。切妻造,桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。彫刻がふんだんに使われています。

二の丸御殿を拝見します。

殿内は撮影禁止。

お伝えできないのが残念です。
素晴らしかった!うぐいす張りの廊下も楽しいです。

 

二の丸とは、本丸を直接守備する曲輪(役割や機能に応じて城内で区画された小区域のこと)。郭・廓の字を当てることもあります。で,城主の居館が建てられる例も多く,武器・兵糧の倉庫などが建ち並ぶのが普通です。

 

二の丸御殿

次は二の丸庭園です。

手入れが素晴らしいですね。

御殿と同じくらいの敷地ですから、広大です。

白書院裏。

重文 本丸櫓門をくぐりまして、本丸御殿へまいります。

創建当時の本丸御殿は,二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており,内部は狩野派の障壁画で飾られていたそうです。

 

本丸とは城の中心となる曲輪で,戦時には司令部が置かれ、近世の城郭では,城主の居館や政庁のための御殿と天守を備えているのが普通だそうです。

本丸には五層の天守閣がそびえていましたが,寛延3年(1750年)落雷のため焼失,現在、二条城はありません。

さらに天明8年(1788年)には市中の大火のため殿舎をも焼失、現在の本丸御殿は,京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を,明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものだそうです。

天守閣跡からの眺望。

城は,敵の攻撃を防ぐために築いた防御施設のことで,古代の城(き)や柵(き)あるいは都城,中世の領主の居館や山城・砦,さらには環濠で囲まれた寺内町などをはじめ,江戸末期に各地に築かれた砲台まで含む幅広い用語です。

お堀の景観も素晴らしいですね。

やっぱり、自分の目で観るって大事ですね。

想像していたものとまったく違っていました。

 

二条城は、徳川家康が大阪冬の陣・夏の陣の軍議を開いたところであり、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられたときの儀式が行われたところでもあります。 また、最後の将軍、徳川慶喜が勝海舟と差し向かいで会談し、大政奉還を行ったところでもあります。

戦国末期や明治維新に想いを馳せることができますね。


古都京都ですから、老舗というところは魅力的で、多くのファンがおられるようです。

今回はこちらに寄ることは、決めていました。パンケーキも人気なようですが、私は注文するならこちらのフレンチトーストを。

昨日、店を通りかかった時はお昼時でしたが、唯一ランチがお休みの日で、なぜか足が向きませんでした。

二階でいただけるランチは、喫茶店でいただける欧風メニューで人気があるそうです。

美味しい!手作り感漂うお味ですね。

セントラルキッチンでできたようなシロモノとはやはり違います。

外は適度な焦げ目がついていますが、中のパン、卵液はそれほど浸みていないのにふわふわです。シロップも甘すぎずでよろしい感じです。朝、パンを食べていなかったら、パンケーキもいけたかもしれない軽さでした。

セットのコーヒーはドイツのプロパッド機で自家製焙煎したブレンドコーヒーで、深入りで好きなタイプのコーヒーでした。

本能寺斜め前、亀屋良房のある通り沿いに昭和7年創業のスマート珈琲はあります。

 

スマート珈琲


昨日、市役所前で地下鉄を降りた時、本能寺の名前がちらついたことを記憶しています。

でもあたりはビルばかり。

本能寺とはあってもお寺のような姿はありません。

 

しかーし、こちらがそうでした。

昨日は、亀屋良房を曲がらずにスマート珈琲を探したので気が付きませんでした。

また、御池通はビルが立ち並び、陰にあるので見えません。

本能寺とは、本能寺の変で知られた織田信長が明智光秀に襲撃されて自害した舞台ですが、遺体は発見されず、その最期は明らかではないのですが、信長公御廟所拝殿があります。

 

本能寺

幾度となく訪れているはずの平安神宮。

周囲の建物が整備され変わっていくと、まるで別世界に来たようですね。

参道にそびえた立つ朱色の鳥居。東山あたりからもその姿はよく見えます。

岡崎公園のランドマークです。

”應天門”


幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃で、京都の衰退ぶりは目を覆うものがあったといいます。
その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」だったそうです。

これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。

大極殿(だいごくでん)

大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、不動の指針北極星に比定され、天皇の坐す御殿を意味するのだそうです。

右近の橘

金柑のような実がなるのですね。

左近の桜。

開花しているものがありました。

本日は神苑は見れませんでしたが、幕末の京都市民の心の拠り所であったことを改めて感じ、なんとなく感動を覚えました。

ここ、参道横にある京都市美術館も今朝は建物探訪のみ。

岡崎公園に面しているTSUTAYA×スターバックス。

京都には三条大橋の川床にスターバックスがありますが、こちらも雰囲気、居心地が良さそうでした。

京都人、スターバックスがお好きなようですね。そこかしこでみかけました。


早起きは何とかと云いますが、早朝は観光名所も開いておらず、交通手段のバスも道は空いていても稼働していません。
なので、ひたすら歩きます。
ホテル前の烏丸通から二条通を歩いていると、ピンク色の桜の姿がありました。

不断桜と言って寒さ厳しい12月から3月位まで頑張って咲く桜なのだそうですが、桜好きの粋人仲間がつけたお名前が『御池桜』

店の開かない丸太町をぶらついて次の目的地に向かいます。
河原町二条橋を渡ると琵琶湖疎水に偶然行き着きました。
ソメイヨシノです。

やはり、この桜が一番懐かしく感じます。

緋桜ですが、種類はわかりません。


あ〜、残念。ピンぼけです。
でも、出会えた桜に感謝。
哲学の道には思いが残りますが、川面にせりだした桜の姿は、また違う風情がありいいですね。

琵琶湖疏水は、琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)で国の史跡に指定されていますが、第3代京都府知事となった北垣国道の銅像が、自ら建設に力を尽くした疏水の姿を見守るかのように立っています。

明治維新による東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため,琵琶湖疏水の建設は当時の夢だったといいます。

 

ここをさらにあがったインクラインは当時の工事のために作った琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間をなす傾斜鉄道ですが、その跡地は桜の名所でもあります。

 

インクライン桜


鴨川、夕暮れ時です。

行きに鴨川に腰掛けていた人たちはどこに行かれたでしょう?
鴨川の有るさまに憧れます。
こういう情景は東京にはありません。
川辺を歩いたり、座ってぼんやりしたくなる川です。

四条大橋を渡ります。

まもなく、高津川沿いの桜が目に飛び込み、惹かれるように木屋町通を歩いて、花見見物してしまいました。

このところ夜桜に縁がなくなりましたが、いいもんですね。

繁華街の灯りが雰囲気のいいライトアップなっています。

この辺りは、映画発祥の地で、坂本龍馬や桂小五郎潜居跡や事跡の碑があちこちに立つ場所なのだそうです。


あまりに有名な【鍵膳良房】さん。
支店もありますが、やはり祇園の本店でいただきたい。
列びは必須。でも今日はあきらめません。
閉店間際でしたがとにかく今日は並びます。

こちらのくずきり、勿論本葛ですが、作り立てを供するということで、その美味しさには定評があります。

まずはこちらのお干菓子とお煎茶が供されます。

上品な姿は、茶人に好まれる意匠ですね。

お干菓子”菊寿糖”は、こちらの看板商品。
お外のウィンドウに飾られています。

一段目をオープン。

蜜は黒と白がありますが、私の好みは黒。
はぁ〜、美味しかった。
舌触り、のど越し、蜜との相性、抜群です!

 

鍵膳良房
 


社寺巡りは終わりが早い!
風神雷神所有で有名な建仁寺。
前回は間に合わず、拝観することができませんでした。

ホテルのチェックインを済ませて、荷物を置きましたら足早に目指します。
場所はだいたい見当がつくのと、周辺の人気と渋滞はわかっていたので、歩いて行きました。
花見小路突き当たりが【建仁寺】です。

到着しました。時刻は4時少し前。

前回はこちらの門を左に折れて、高台寺を目指した記憶があります。

4時半に閉門ですが、入れていただけました。

京都最古の禅寺【建仁寺】本坊です。

風神雷神図屏風。レプリカです。
一昨年は確か琳派400年とかで公開があったはずですのに、残念、行った秋には公開が終了していました。

春、秋は特別公開が多いのですが、桜、紅葉の時期にピタリと合うことはありません。

世界トップの観光地、古都京都、混雑回避のためでしょうか?

 

俵屋宗達晩年の最高傑作と言われていますが、ギョロメの可愛らしさが私にとっては愉快に感じています。

しかし、このレイアウトは当時斬新だったのでしょうね。

夕方閉門間近は静かでいいですね。
でも、伏見稲荷もでしたが、こちら建仁寺でもウェディング写真を撮られる外国からのお客様いらっしゃいました。

No photoの多い社寺ですが、こちらはOK。

レプリカですが海北友松によって桃山時代に描かれた方丈襖絵をキャノンの協力によりデジタル複製して、常設で一般公開されています。

十一面観音菩薩象、400年前のものだそうです。

順路通りに参りますと法堂の天井画が拝見できます。
いったん外の廊下を出て、法堂に入ります。

2002年創建800年を記念して描かれた小泉淳作筆”双龍図”です。

制作の模様をビデオで拝見しましたが、壮大な創作風景でした。

五間四間・一重・裳階付の禅様仏殿建築だそうです。

本坊に戻ってまた外に出、秀吉ゆかりの茶室”東陽坊”へ。

この奥ですね。

躙り口からの茶室。

【建仁寺】の開基は栄西ですが、比叡山で天台密教を修め、その後二度の入宋を果たし、日本に禅を伝えたそうです。

また栄西は、中国から茶種を持ち帰って、日本で栽培することを奨励し、喫茶の法を普及した「茶祖」でもあります。

台目席でもっとも模範的な茶室をしているという草庵式二畳台目席の茶室。

秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟が担当した副席と伝えられているそうです。

方丈は回遊式で

お庭も素晴らしいです。

白砂に緑苔と巨岩を配した”大雄苑”のお庭は枯山水。
夕暮れ時、座って前庭を拝見するできるなんて、贅沢な時間です。

創建当時の天台・密教・禅の三宗兼学から純粋な臨済宗になった【建仁寺】

臨在禅師は盛んに「喝」を唱えていたそうです。

方丈を出て境内を散策します。天井画”双龍図”のある法堂です。

浴室だった建物の前の枝垂れ桜の前で写真を撮る御嬢さん達。

このような様子は最近、各地の社寺でのトレンドのようです。

着物の入り方は何であってもいいと思いますが、外国のお客様で年配の方が、娘のような着物を着ていらっしゃるのにはちょいとびっくりします。

山門、法堂、方丈は、まっすぐの線で結ばれています。

”勅使門” 鎌倉時代からの遺構を今に伝える重文で、柱や扉に戦乱の痕があることから「矢の根門」「矢立門」と呼ばれているそうです。


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