古今集に「モミジの永観堂」と詠まれるほど、数ある京都紅葉名所のなかでも、ひと際紅葉の美しさで知られる【永観堂】
山の中腹にあり、境内の最も高い場所にある多宝塔を紅葉が包み込む幻想的な光景は必見!
というので、期待を込めて向かいました。
南禅寺から徒歩で10分くらいでしょうか?

【永観堂】は「えいかんどう」と読みますが、「永観」という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされ、お寺の名前も正式には【禅林寺】といいます。

総門からカエデの色づきにいい予感がしました。

中門。

人だかりがしていた”夢庵”に私もお邪魔してパチリ。
東山を背景に放生池にかかる錦雲橋。

さすがに「もみじの永観堂」
染め上げられるカエデのコントラストは夢心地になりました。

拝観いたします。
奥に見えますのは”多宝塔”
屋根の上に伸びる心柱と九輪と水煙がついているのはめずらしい塔だそうですが、永観堂のシンボルのようです。

文化財を見て歩く中にこのような景色が現れます。

回廊は見上げるような配置をしています。
”岩垣もみじ”と呼ばれている垣のようにはりめぐらした岩の紅葉。

御堂を結ぶ階段。

阿弥陀堂(本堂)は、1597年(慶長2年)の建築物。
ご本尊は阿弥陀如来。
首を左にかしげ、ふりむいた姿をしている珍しい像で、「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。

この像については、永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。
伝承があるのだそうです。
阿弥陀仏

境内中央にある放生池付近は緋毛氈が敷かれた茶屋があり、紅葉を愛でながらお団子や甘酒などを召し上がっている方々で賑わっていました。


南禅寺と永観堂の間に、野村證券など金融財閥を一代にして築き上げた2代目野村徳七(のむらとくしち/1878-1945)のコレクションを展示した【野村美術館】があります。

先週ならば琳派400年を記念した催しが各美術館で行われていましたが、連休で終了してしまっていたので、春季(3月中旬〜6月中旬)と秋季(9月中旬〜12月中旬)の年二回だけ開館しているこちらに立ち寄ってみることにしました。

彼は、得庵(とくあん)と号して「茶の湯」と「能楽」に深く傾倒されていたそうです。

重要文化財もあり、熊川(くもがい)茶碗という高麗茶碗やノンコウの赤楽茶碗“若山“に出会いがありました。

熊川茶碗

また、入口右には立礼茶席も設置されており、“末富“さんの生菓子付き600円でお抹茶がいただけました。

同時開催されていましたのが、【山岡徹山展】
上野焼(あがのやき)香春徹山窯三代目だそうです。

野村美術館館長の谷晃と韓国伝統工芸の申翰均(しんはんぎゅん)の両者より推薦を受け
2013 映画『利休にたずねよ』にて美術協力を行い、劇中では、利休が肌身離さず大切に持ち、秀吉に狙われていた写真の「緑釉香合」や
「熊川茶碗」「伊賀耳付花入」等を製作したそうです。

上野焼香春徹山窯


写真は、法堂(はっとう)。
フェルト製の尖った魔法使いのようなスリッパを履いたお坊さんが朝のお経をあげているところでした。

この右奥が方丈です。
京都五山のさらに上位に位置する「五山之上」として、別格扱いの禅宗寺院。
それが日本最古の勅願禅寺、瑞龍山太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)こと、南禅寺です。

現在に見られる南禅寺の伽藍は、江戸時代初期に復興された際に整えられたものだそうですが、その中でも京都御所から移築されたとされる方丈は、国宝に指定されています。

訪ねてみました。

入口すぐの廊下。
キュキュといい音がしました。

つくばいに色づいたもみじ。

大方丈の庭園は「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、小堀遠州の作と伝えられています。

こちらの方丈は、元は別々の建物であった大方丈と小方丈を組み合わせて一つの建物にしたもので、大方丈の裏側に小方丈が接続された形となっているそうです。

緩やかな山の斜面を利用して作られた南禅寺、その様子が方丈の内部でもみられましたが、日本建築(寝殿造)の最も美しい豊かさをもった構築なのだそうです。

“六道庭“と“如心庭“を抜けるともみじがありました。

中庭。
立子を胴縁に編みつけるようにした大津垣に萩垣を間に入れた形の垣で、南禅寺本坊の露地囲いとして作られたもので、【南禅寺垣】と呼ぶものに出会いました。

南禅寺と言えば湯豆腐ですが、それは、南禅寺周辺参道の精進料理が起源とされているそうです。
山形県酒田市、鶴岡市では【南禅寺豆腐】という半球の形をした豆腐が名産ですが、
これは、江戸時代の北前船によって京都から西廻り航路で伝わったといわれているのだとか…。
寄港地周辺では近畿の文化が伝わり、言葉・食文化等に影響がみられ、本州日本海側における文化の伝播役としての役割もあった。ということですが、今でも京都弁を話す方がおると、鶴岡が故郷の友人が申しておりました。
 


今回京都の旅を思いついたことの1つは、南禅寺にあるあるものを見たいと思ったことでした。

知り合いから去年行った旅先の京都の写真を見せてもらった時に「えっ、何これ?」と、目に止まったのが、外国でしか見たことがない水道橋でした。
聞くと、場所は南禅寺だといいます。
湯豆腐で有名な南禅寺にそんな史跡があったのです。

天授庵を見学後、向かいました。
あっ、見えてきました。

どうみてもローマ時代の水道橋です。
奥は南禅院。
寺院内にこの風景はあり得ないと思いましたが、
今では南禅寺の中にあるというのが、貴重な感じがします。
設計者は未来の姿が見ていたのだと思います。

一瞬、ここは京都だってことを忘れてしまうくらい心を奪われますが、
このアーチ橋は、琵琶湖の湖水を京都市内に引く琵琶湖疏水を通すため、明治23年(1890年)に作られた「南禅寺水路閣」です。
京都市の史跡にも指定されているそうです。

疎水というのは、他の水源地から水を引く目的で造られた水路のことで、運河や用水路のことです。

どうして、南禅寺の境内にこんな水路を通す必要があったのか、
という点ですが、計画部分に天皇家の分骨場があることがわかり、急遽変更となったのが現在のコースなのだそうです。

この水路閣の橋上には、琵琶湖疏水の支流が今でも小川のようにさらさらと流れているといいます。

琵琶湖の水を20キロも離れた京都にまで山々を貫いて運ぶという水路の建設計画は、豊臣秀吉の時代にも提案されていましたそうですが、あまりにもの難工事のために断念した計画があったそうです。

明治維新時、東京遷都で、京都の産業は衰退。
そこで、京都の復興策の一つとして期待されたのが、水の確保と物資運搬を目的とした琵琶湖疏水の計画だったというわけです。

世紀の大事業だったわけですが、それを実現させたのは21歳の田辺朔郎という青年でした。

彼は、水道用水だけでなく、日本初の営業用水力発電所を京都・東区の蹴上(けあげ)に建設したそうです。
インクラインにあった銅像は、田辺さんでした。

インクラインの記事

この水力発電を使って、1895年(明治28年)に京都と伏見間で日本初となる電車が走るようになったそうですが、一般営業用電気鉄道として開業したのは日本初の鉄道は新橋〜横浜間ではなく、京都が初めてなのだそうです。


社寺巡りは朝が良いといいます。
ここ、南禅寺は人気のスポットなので、早くから観光バスも到着していました。

塔頭【天授庵】は、ライトアップも魅力的な紅葉の名所。

到着して間もなくの9時に開庵。
インクラインで道草したり、南禅寺に到着するまでにあるお寺に立ち止まったりしましたけれど、入口間もなくの場所にある天授庵に寄るには好都合でした。

塔頭の金地院の小堀遠州作の茶室八窓席(重文)は、鶴亀の庭(特別名勝)襖絵長谷川等伯筆「猿猴捉月図」「老松」は、春・秋だけの公開と聞いていましたが、断念しました。

すぐにこの額縁でした。

白砂と苔の枯山水庭園。
方丈前庭または、東庭と言われているようです。

ここからは、書院南庭と呼ばれる池泉回遊式庭園です。

紅葉の時期は、落ち葉さえも魅力的に映ります。

さすがに人気の庭園です。

回遊式ですから、どちらの角度からも、息を飲むほど美しい…。

こじんまりしたお庭ですが、橋があったり、飛び石があったりの散策路で、水面に写る紅葉の様子も楽しめます。

書院と庭の佇まいもまたよろし♪


インクラインから南禅寺に向かいます。
今回の旅は、紅葉を楽しむこともあったので、向かう道、カエデが色づいている姿を見つけ、ガッツポーズ。
今年は、東京に限らず気温が高かったので、全国的に紅葉が遅れていました。
本来なら先週の連休あたりが、シーズン真っ盛りだったのでしょうが、お天気にも恵まれ、良いタイミングで来られたようです。

三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称だそうですが、
山門とも書き表され、寺院を代表する正門であり、
禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の中の一つ。

南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられるんだとか…。

歌舞伎『金門五山桐』(きんもん ごさんの きり)で石川五右衛門の名セリフ「絶景かな、絶景かな」で有名。

「そうだ、京都行こう」1995年盛秋のポスター。
こんなに赤くは染まってなくても、額縁な姿に酔いました。


イノダコーヒーのある烏丸御池から南禅寺を目指して地下鉄東西線で、蹴上に向かいます。
皆さん、南禅寺に一直線のようでしたが、

私はトンネルを抜けて、右へ。

桜の時期は、また美しいであろう【インクライン】です。
インクライン(incline)
調べてみました。
傾斜面にレールを敷き、動力で台車を動かして船・貨物を運ぶ装置。京都市東山区蹴上(けあげ)にあったものが有名。勾配(こうばい)鉄道。とのことです。

これが、名残ですね。

あたりは、琵琶湖疎水の史跡もあります。

これから向かう南禅寺の目的地の意味もわかります。
少し小高い場所からは、気持ちのいい景色も望めました。

そもそも琵琶湖の水を京都に運ぶための疎水工事で必要になったという鉄道。
詳しくはこちらから


京都に来ています。
一人旅なので、初日朝食だけはこだわりましょうと、【イノダコーヒー本店】にやってきました。

勿論、私のようなおのぼりさんもたくさんみえているのですが、ガイドブックにあるように、朝の習慣として来られている常連客がいらっしゃいます。
早朝7時開店なのにほぼ満席です。

この自転車の数、地元のお客様のでしょうか?
こちらのお席は、ヨーロッパ風の佇まい。

私は入口からまっすぐのお席にゆったりとご案内していただきました。
吹き抜けで、ミッドセンチュリーな雰囲気、落ち着きました。

お化粧室前の廊下さえも雰囲気があります。

注文は、“京の朝食“。
開店から11時までのモーニングセットです。
ジュース・サラダ・タマゴ・ハム・パン・コーヒーまたは紅茶の内容です。
パンはクロワッサン1つで物足りないかなぁ〜と思ったのですが、ポテトサラダや数種類の野菜サラダ、トロリと仕上がったスクランブルエッグ、そしてハム。
なかなかボリューミーで、お腹を満たしてくれました。
中でもハムが美味しかったので調べてみましたら、
1925年創業以来、ドイツのハム職人「カール・ブッチングハウス氏」の伝統製法を引き継いだ、茅ヶ崎の「ハム工房ジロー」のボンレスハムを使用しているとのことでした。

オリジナルブレンドのコーヒー。
ミルク、シュガーお断りもできますが、濃い目のドリップで、絶妙ですね。
美味しかったです。

地下鉄烏丸御池5番出口を上がると目の前にみずほ銀行の建物が見えたら、そこを左です。

少し行くと、中京郵便局。

そして、京都文化博物館。

足袋屋さんだ!と思ったら、

こちらを右、まもなくです。

イノダコーヒー


ホテルへ戻り荷物を受け取ってタクシーを呼んで空港へ。
8ユーロ+チップ也。

東京のように国際空港が成田というのは、経済的にも時間的にもロスが大きいなぁ〜と思いますが、サラエヴォの国際空港、倒れそうなくらい可愛らしかったです。

うんと早めに着きましたがチェックインカウンターには誰もいませんでした。
聞くと5時にオープンすると言います。

一階、ほどんど人がいません。

たぶんこの日私が乗るイスタンブール行きまで何もない様子で、

税関にも誰もいません。

二階カフェ。
2件あったカフェもセキュリティチェックも皆さん、暇そうにしていらっしゃいました。

飛行機は、定刻よりはるかに遅れて離陸。

イスタンブール到着時、なんと、成田行き、ラストコールの表示でした。

ゲートまで走りました。
しかも、このアタチュルク空港か広い!
「乗り遅れるのか?」
迎えにきてくれる予定の夫の顔が目に浮かびます。申し訳ない!

よかった、間に合いました。
行きは6時間のトランジットがあっただけに、やぁ〜焦りました。
心臓バクバクしました。
あるんですね〜こんなこと。


イリジャから乗ったトラムが昨日歩いたミリャツカ川の近くを通ったので、少し手前で降りて、フェルハディア通りを通って目的のレストランへ向かうことにしました。
あっ、その前にホテルヨーロッパに寄ってトイレタイム。
ホテルヨーロッパは、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピット夫妻がサラエヴォ訪問の際に滞在したというホテルですが、廃墟となったビルを改築してできたホテルなのだそうです。
近くにメモリアルのためか?その廃墟の名残がありました。

ホテルは帝国時代とモダンを合わせた作りになっていて魅力的。
Bečka Kafanaは、ウィーン風カフェ。ウェルネスセンターでは、トルコ式バス、ハマムが利用できるとのこと。帰国してから知りました。こちらで少し過ごしてみたかったです。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ全体ではわかりませんが、サラエヴォのトイレ事情は、クロアチアほど悪く感じませんでした。
それは、ショッピングセンターなど公共の施設が充実し、そこで利用が可能だからそう感じたのかもしれません。
サラエヴォの街は区画されていて、昨日ざっくり歩いただけでだいたいわかりましたので、ホテルヨーロッパもこの辺にあったなと思い利用させていただきました。
地区としては、旧市街【バシュチャルシヤ】となるかと思います。

今日はニューイヤーズイブ。それだからかもしれませんが、人人人。

この国では寿ぎ(ことほぎ)の儀式はありませんから、クリスマスのツリーも気分もプレゼントも新年に持ち越しのようです。
おもちゃやお菓子がどでかい透明のビニール袋に入って売られていました。
帰省時の子供たちへのプレゼントでしょうか?

レストラン到着。
昨日の夕方は満席でしたが、空いていました。
タイミングがよかったらしく、すぐにウェィテングのお客さまでいっぱいになってしまいました。
本当は、ここがなに料理か?確認していませんでした。
でも、外から見てまずお客さまが楽しそうで雰囲気がよかった。
メニューを見たらサラエヴォの名物料理、”チェヴァプチチ”(香辛料が効いた肉団子を、ソムンと呼ばれるパンと生たまねぎのみじん切りとともに食す料理)が頂けることがわかりました。
なんたる偶然。これを食べねば帰れないと思っていたのです。

ハープポーションとサラダをと考え、
レコメンドのサラダは何?と聞いたら、ミックスサラダと言ったのでそれを注文しましたが、
サラダもですが、欧米化した印象はなく素材重視の感じです。
でも、こちらの盛り付けは丁寧だと思います。

名物料理、これが美味しかった。これがハーフ?というボリュームでしたが、

ピタににたようなパンも中に入ったソーセージのような肉団子も、オニオンもいいお味。
クロアチアもですが、ボスニアも至るところに”ペコラ”と看板のあるパン屋さんがいっぱいありますし「コナモノ」味が本当にいいのです。

DZENITA

昨日寄ったスイーツショップのターキッシュケーキが美味しかったので、気になったもう一軒をチェック。
しかし、クリームたっぷり、シロップたっぷりに浸ったケーキを眺めた瞬間、無理と、諦めました。

ホテルに向かう途中、ショッピングセンター2 件を物色。
フェルハディア通りに近い方は昨日なかった特設舞台でこれからだれかの演奏があるようです。

私自身、おせち料理を作らないこんな年末は初めてで新年を迎える感じが全くないのですが、この国の方々の新年に対する思いはどんなものなのでしょう?


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